2018年08月09日

本「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」三部作 NHKスペシャル取材班 「外交・陸軍編」 「メディアと民衆・指導者編」 「果てしなき戦線拡大編」






 力作3冊ですが、どれ一冊でも読めます。
 まず「外交・陸軍編」。日本は伝統的に「外交ベタ」と言われますが何がどう下手なのか明らかになる。要はまとめて言えば「変化についていけない」ではないかと。
 外交官個々がいかに優秀でも、中央政治からの指示が的外れでは何もできません。悪評高い国際連盟脱退も、松岡全権を含む現場と中央の意識がかなり隔たってる印象です。
 これは今も続く日本のエスタブリッシュメントの悪弊で、モリカケ問題を見ての通り、過度の忖度と無言の圧力が、結果として意思決定過程が記録に残らない異様な行動を生む。
 森友ならば何億もの国費が毀損されたのは事実なのに、中央は誰も罪に問われない。「おかしなところはなにもない」ではなくて、「こんなことが起きているのにおかしなところがないことの方がよほど問題」なのです。

 こういった場合、問題のレイヤー構造を認知できないと「なにがより重要な問題か」の判断ができないと思いますが、この「レイヤー構造を把握する」という技能はどうやら生まれつきある能力ではないらしく、教育と実地の訓練で身につけなければならないようです。
 ところがこれが「官僚」という職種と極めて相性が悪い。
 官僚というのは言い方悪いですが高性能事務処理マシーンに己を鍛え上げた人々ですから、心のズームレンズでもって問題を俯瞰・鳥瞰し、「この案件……ヤバいんじゃないの?」という疑問を持つことは実質許されない。ので、書類が矛盾してたら書類を書き直す、それは彼らの習性で、ここを非難しても始まらない。
 だからそういうことが無いように、より上位の法とかルールとか、そういうので縛ってるはずなのですが、あきませんね。
 結局、カスタマーからコンプレインの来ない組織にガバナンスが発生しないのはもはやどうしようもないことで、それをになうはずのメディアが力を喪っていると、ただただ暴走するだけです。

 ということで「メディアと民衆・指導者編」。
 最近クローズアップされるようになりましたが、朝日新聞を始めとするいまもある大新聞たちがこぞって「売上のために」戦争を煽ったのが実はたいへん効いている。
 民衆がある方向を支持すれば、民衆から選ばれる政治家はその方向に走らざるを得ない。そして勇ましい(空虚な)文言が紙面を飾ってまた売れる、このスパイラルが回って、どんどん過激化する。
 PV稼ぎのためなら何でもする現在と全く同じで、それはメディアという情報流通業の本質でもあるので、ここに抑制やあまつさえ正義を求めるのはこれも不可能。
 それどころか今のアメリカのように、メディアがギリギリの理性を発揮して止めようとしても、SNSみたいな新しい分散型メディアがひとりでに「QAnon」みたいな存在を生み出して暴走する。
 どないしたらええんでしょうね。

「指導者」の方はもう日本の組織に属された方ならイヤんなるほど見てきたような風景、「非決定」が繰り広げられてイヤんなります。
 今の会社組織でも重大な案件ほど「社長でも決められない」などという表現が使われますが、それは本来おかしな話で、なんでも最終決断をするために社長がいるのであって、そうでなければ社長が居るシステムの意味がない。
「昭和天皇の戦争責任」という話になって多くの日本人が昭和天皇に同情的なのは、ただプロモーションがうまく行っただけではなくて、その構造、「動き出したら誰も止められないからな」を良く知ってるからでしょう。
 モヤモヤしたどこが最終決定場面なのかわからない、集団指導体制の悪さが、特に敗戦時に「止められない」というデメリットとして出たようです。
 サイパンが落ちたところで降伏してれば死傷者数は軍人・民間人とも史実の1割程度だったのではないか、という試算もあって、「戦争は始めるより止めるのが難しい」は古来言われることですが、それにしてもよりにもよってこんな戦争向きではないシステムを採用してる国で戦争しようと思ったな、と暗澹たる気分。

「果てしなき──」は2冊の補強的な1冊。
 戦線というのは維持せねばならず、どう考えても実力以上の広大な戦線を陸・海ともに拡大していったのは一体なぜ、という素朴な疑問に迫るのですが、これもつまり視野狭窄、よく揶揄されるところですが
「戦争してるから油を止められた、
 油が欲しいから新しい戦争をする」
という第三者から見れば発狂以外のなにものでもない物の考え方が、なぜか通る。

 3冊通して言えることですが、つまり
「戦争をもうしない」
というのは高邁な理想としてもちろん大切なのですが、その一つ前の段階として
「もしも戦争になったら、前回の轍は踏まない」
ぐらいは備えておきたいもので、
(「戦争」を「地震」に置き換えれば腑に落ちやすい)
しかしそれこそができなそうで、それがこの本を読んで、いや太平洋戦争の記録物を読んで、落ち込む原因ですね。
 学校教育でも「失敗しない」もだいじですが「失敗した時にダメージ・コントロールをする」を小さい頃から教えた方がええような気がします。
 牛乳をこぼしたら、本人は謝る前に、周りは非難する前に、雑巾を取りに走る、みたいな。そのあと謝ったり反省会をしたり。
 いやわかんないですけど。
 だから私、先のW杯で、直前でハリルホジッチを切ったのは(結果がどうあれ)良かったと思いました。最後まで「合理的に」できることはする。

 悪名高いインパール作戦も撤退を開始してからの死傷者がほとんどだったり、バシー海峡に護衛なしの輸送船を人間たっぷり載せて送り続けて沈められ続けるとか、挙句の果てには事実上の降伏勧告であるポツダム宣言を受けたのに、うじょうじょうじょうじょ時間つぶして原爆2発撃ち込まれてソ連軍に襲われたり、われわれは愚かというにも程遠い、虫のような視野と知性しかもちません。
 ですから、なにかトラブルが起きたら、ちゃんと事実を見ようとして、いっしょうけんめい考えて、がんばってそれを実行するしかない。
 もし300万の犠牲の上に得られたものが何かあるとするならそれ、謙虚さ、ではないでしょうか。
 それが失われた時にまたきっとえらいことが起きるので、そこは忘れないようにせねば。

posted by 犀角 at 00:00|