2015年11月02日

映画「さよなら、人類」 監督:ロイ・アンダーソン


http://bitters.co.jp/jinrui/

 芸術特に映画なんてものはとどのつまりは人生を描くしかなく、人生てのは「人が生きる」と書きますから、人が生きている様を描けば(撮れば)良いわけです。
 カンタンです。
 ただこの簡単なことが、できない。


 人は人に見られているとわかると仮面を被り演技をします。これを引き剥がして素のままにすることさえ困難だというのに、劇というものはなんと矛盾に満ちたことに、作為と努力の積み重ねによって「素のまま」という状態を作り出さねばならない。

 アンダーソン監督はこの作品をほぼセット内で撮ったそうですが、厳密にひとつひとつの要素を突き詰めてブロックのように組み上げようとすると、(リアリティを高めるというつもりで)自然や社会を借景として借りてくることすら回避せねばならず、そしてそのこと自体によってさらに作品づくりの難易度と作業量が上がる。
 また「作ってみせる」「できるはず」という自信あるいは直観もしくはその両方が必要で、これはやっぱり欧州人でないとできない所業ではないかな、と思います。
 で、これはちゃんとできているので、まずそれが凄い。
 ジャック・タチ監督の『プレイタイム』
http://rakken.sblo.jp/article/99759546.html
も同様に一つの街をでっち上げてそこで撮られた作品ですが、こちらはその街自体が「いいたいこと」の結晶にもなっており、作ること自体に意味や価値が発生するのですが、本作はそうではなくて余計な夾雑物を排するためだけに(見せたいものをピュアに見せるためだけに)セットを作り1カット1カット撮るわけですから、執念の質が違う。
 雨のシーンで自然の雨が欲しいから何日も待つ、それはいつか来るので「我慢」です。そこで「つくる」つまり状況を自らの手で捻じ曲げる、という判断をするのは何かしらの回路がおかしい、あるいはおかしい回路のスイッチを入れられる必要があって、それが、特別なんです。

 こうした物理的な大きな困難に直面した時に
「やるか」
と思えるか思えないかが芸術家とエンタティナーとの境目かなあ、という気もします。もちろん優劣はありませんが。

 と、「ぜんぶ作っている」ことにまず呆然とするわけですが、その労力を持って描かれる人生、人間、人類がまたこの、
「普通の哀しさ」
をたっぷり持つ普通の人々の普通の日常。
 幸せでもなくかといって大きく不幸でもない、生きていくことって無常だしままならないよね、でも、今日も、それから明日も生きている。
 上述webの予告動画ご覧になりましたか、死期迫るベッドの上で宝石入りの鞄を抱えて離さない老婆の姿を。
 サムとヨナタンがジョークグッズを売り込む時の涼しい空気を。
 進撃路から女性を追い払うような好戦的で勇敢な国王陛下が、実はシャイな優男しかもゲイで、立ち寄ったカフェでウェイターを見初めて口説く、その後敗走中ボロボロでまた立ち寄るも、件のウェイターさんは店にもお付きにもいなくて不安になる。
 サムとヨナタンの泊まる簡易宿泊所の管理人は、騒ぐ客を鎮めるのに(おそらくこれが一番効果があると経験で学んだ)ひとつの言葉を繰り返す。
 パブの常連のおじいちゃんが口ずさむ歌は、もう何十年も前の在りし日の楽しいそして悲しい思い出そのもの。
 ああ人生。
 そして終盤、ヨナタンの観るおそろしい夢。
「おそろしさ」の中身はご覧になるとして、それを知らずとも本当におそろしいのが、その「おそろしさ」は特に理由なく起こされているものであり、画面に出てくるおそらくそのおそろしさを引き起こしている人々も、強い意思や欲望を持ってそこにいるわけではなくただボンヤリと傍観している。さらにおそろしいのが、ヨナタンはそのただ観ている人たちの、さらに彼ら彼女らの意識にものぼっていないような手のグラスに必死に酒を注いで回る役であり、チラリと「おそろしさ」に目はやるものの心を動かす余裕もなく、誰のためでもなく必要でも重要でもない「役目」にただ邁進する。
「あーこれオレだ……」
と思える方はご同慶。
 あなたはまだ生きている。
 そうヨナタンが「正気」なのは夢から醒めて、
「本当に恐ろしい夢を見た」
とさめざめと泣くところで、彼はまだこの夢まるごとそのもの、それを自分の役柄も含めて「おそろしい」と思えている。つまりまだ人間である。しかし、そうであったとしてもその場で行われていること=世界で起きていること、がとても「おそろしい」ことには変わりがない。そしてヨナタンは泣くことしかできない。
 ではあなたは?
「……はー……」
と溜息をつくしかありませんでした。わたしは。

 あまりのままならなさにキレたサムが、でも思い直してヨナタンに謝るところは男の友情、ホロリと来ます。サムもまだ、生きている。
 この作品に出てくる人はおおよそみんな、ちゃんと生きているんです。  
 二人からグッズを仕入れてその代金を踏み倒し、自分は奥で寝っ転がって奥さんに対応させるジョークグッズ屋主人。こう書くとヒドい生活のようですが、冷静に考えると小なりとはいえ店を構えて、ある程度協力してくれる奥さんも居る。日々を自分の手に握っている。
 だから観終わったあとが清々しいのだと思います。
 こんなにホロ哀しい絵をたくさん見せられた後なのに。
 本人が、手放さなければ、「さよなら」にはならないんですよ。

 まだこれから掛かる小屋も全国たくさんある模様、日々に迷ったら悩んだら行き詰まっていたら、ぜひ。
 ヨーナターン……

posted by 犀角 at 23:33| コンテンツ