2016年06月23日

本「らくごDE枝雀」 桂枝雀




 こんな大阪町言葉を遣いたい。


 故あって枝雀師匠の「緊張と緩和」理論がもうちょっと詳しく知りたく、ならばこれ、と言われることが多いのでめくりました。
 そこのところは一般向けの書物でもあって、現物(それぞれの噺)に合わせて「ここがこう、あそこがああ」と具体的に解説する部分がほとんどです。特にサゲは念入り。思ってたような細かい理屈は知り得なかったのですが、そこはよし。
 なんてったっておもしろい。
 小佐田定雄先生と対話調で理屈を捏ねる部分もすごく楽しいのですが、やはり5本入っている噺の書き起こしが、在りし日の枝雀さんの声が聞こえてきそうで、ジンワリしつつも笑いながら読みました。

 上方言葉が優しい。
 また文字起こしも丁寧。

「嬶、ちょっと出て来てみ。隣ィ来よったやつ、だいぶにアホやで、あれ。声聞いたらわかる。アホ声がしたァるがナ」
「そういう男やでおまはんは。もいっぺん持っといなはれ」
「またまた早うからなァ。あんさんの横てへ座らしてもらいますか。えらいすまんこってす。」

 ああこんな言葉を話し・書きともに操りたい蚊帳吊りたい。

 わたいもたいがいカジュアルな話し言葉を文章にしよおもて工夫してきてはいるんでっけど、要するに根っこ、「エエ塩梅の大阪町言葉」の種みたいなもんが肚の中におまへんさかいに、なかなかここまでうまいことはよう書けまへん。
 精進精進。

 巻末、上岡龍太郎さんの愛に溢れた解説も読ませます。
「シュッとした」小米時代をもちろん僕は知らないわけですが、中川家がよりセンスのある礼二がツッコミに回ったことでコンビとしてパワーアップしたように、あれだけのインテリ(神戸大学文学部)ですから、師匠の米朝のように「シュッとした噺をシュッとする」より、思い切りアホを作り込んで、合間合間にフト常識人が呆れ返る瞬間に素を出す、こちらの方が破壊的である、とどこかの時点で舵を切らはったわけですな。
 正解だったと思います。ここの切り替えの切れ味だけは、師匠の米朝はもとより、他の誰の追随をも許さない。笑いはギャップに生じるものですから、ここのキレはあればあっただけいい。

 上方で枝雀が江戸で志ん朝が、相次いでまだ60内外で亡くなったのは本当に寂しい事態でしたが、今はもうそんなことも忘れるぐらいに落語が寄席が興隆していて、なんとも怪我の功名なんて言うたら怒られるかもしれませんけど、その危機感が上の腰をしゃんとさせ下の自覚を促したんかな、と思ったりもします。
 それにしても毎月ABCで『枝雀寄席』を観ることができた我々はしあわせであった。

 枝雀師匠のすごいところは、DVDで映像を観てもよし、CDで声だけ聴いてもよし、そして文字だけで読んでもよし。
 この書にある中では『寝床』も『星の王子くん』の時にオマージュさせてもらいましたが、十八番『宿替え』が最高です。ああ、こういう惚気話が描きたい。

posted by ながたさん at 18:00|