2016年10月16日

10/15


 ぐぉー、とか言いながら布団を転がる秋の日。


●マツダ・デミオ商品改良
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/photo/1024792.html

元先代(DE)オーナーとしては後席アシストグリップ装備が羨ましい。あと「ソウルじゃない赤系の新色」とか。1.5D車のグリルの差し色赤を止めるとか。こうしたこまかーい「こここうだったらな」を潰してきてるのが、学習回路全開という感じですばらしい。
 どこかで採用された新技術を間髪入れず全車に展開していく戦略は、早く買った人が悔しがる以上に「同車種乗り換え」を促してるそうです。欧州勢みたい。モデル最初に買ったら最後に買い替え、みたいな。
 このヘッドライトはアテンザより進化してるとか。CX-3のナッパレザーだってアクセラにもCX-5にも設定ないし。口で「クラスレス」とか言うの簡単ですけど、こうやって行動に移すのは難しいもんです。
 そしてマシーングレーのあいかわらずの写真写りの良さよ。

●ハルキ先生のいいところは
「現代」(あるいは近代)に真っ向から喧嘩売ってることだと思います。
 現代が人間に何を要求しているかというと、

・エエカッコせんとあかん……都市に出て自分の才覚一本で食わないといけないので、自分をより(少なくとも自分が本来持っている程度には)強く・明るく・正しく・賢く見せる強迫観念に駆られ続けている。
・いつも同じでないとあかん……かつそれを常に発揮することが求められており、ミスも手抜きも許されない。

 この2つがキツイ。
 じゃ現代から降りるか、というと、あまりに便益が大きすぎてそれはもっと難しい。
 降りなくても折り合いをつけてなんとか生きていくにはどうすればいいか、と考えると、つまり「エエカッコ」と「いつも同じ」を捨てればいい。これで現代など恐るるにたらず。
 ……という作品が、村上作品だと思うんです。
 これ今言うとわかりやすいですけど、これを80年代から延々やってる、てのはすごい先見性ですよ。士郎正宗より凄い。

 それも、「いいんだよ」と言われるだけでは、生まれてこの方現代にどっぷり浸かって父母も社会も(基本的に)それを要求し続けるわけですから、簡単には腑に落ちない。敬虔なカトリックの家庭に生まれて教会に通って育ってそれでも悩んでるのに「神など死んだ」と言われても困るでしょう? ではなくて「実は神様も割とゆるいよ」と実例挙げて見せられる方が、「……じゃ、このぐらいなら」と救われやすい。

 魂の渇きや飢えに対して、文学なりなんなりはいろんなレイヤーでそれを満たそうとして、別にどのレイヤーを攻めようと貴賎は無いわけですが、表面上の応急処置(エンタメ)と、何年も掛かる体質改善(古典)の間に、即効性と有効性のバランスがいいゾーンがあるはずで、現代文学であるならばそこを狙う、べきとまでは言いませんがそここそが王道のはず。
 どこが病巣か、なにが原因か、といえばたぶん「いまが現代であること」そのものが大抵の場合そうなので(感染症と物理外傷を除けば病気の原因のだいたいがストレスであるように)、そこを叩かんとダメだろう、と思います。
 作品そのものに何か意味があってそれだけで完結している、と考えて作られているものはたいていつまらない。(個人の感想です)

 そんないいかげんなもんなら、いくらマーケティング・ブースト掛け(たとし)てもこんなに読まれませんよ。リピーターも多いですしね。
 僕も全然好きじゃないしいい読者でも無いですけど、読むと「あこれはなんかちょっとちゃうな」とは思います。
 その「ちょっとちゃうな」っていうのが、やろうと思った瞬間、極めて難しいものだ、と気づくんです。そこを解析して言語化する能力は僕には無いんですが、仮にも「創」「作」ってんならここ尊重しないで他にどこ尊重するんですか、という感じです。

posted by ながたさん at 11:57| 日記