2016年12月03日

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 必殺鶏塩うどんからカレーというゴールデンリレー。

 トマトトマト。カレーはトマト入れると旨い。

●本「一汁一菜でよいという提案」土井善晴



 NHK『きょうの料理』でおなじみ、土井先生のやさしい日本語が堪能できる、思想書・哲学書・アジテーションブックスそしてエッセイ。
(レシピ集ではないのでご注意を)

 引用。

”だれもいない夜、両親の帰りが遅いとき、鍋焼きうどんの材料が全部入った皿が台所に用意してあったら嬉しいでしょう。うどん、鶏肉、かまぼこ、しいたけ、ねぎの切ったものが入っています。”

”毎日食べるものは、白いご飯と具だくさんの味噌汁です。ご飯をお茶碗にしっかり「装って(よそって)」あげて下さい。なんと、豊かなことでしょう。これだけで私は嬉しいし、見るだけで満足があります。”

”いい手のこと、いい手を持つ人のことを、ずっと長く思い、憧れ考えてきた私は、いい手とはそういうことなんだと、このとき初めてわかった気がしました。私は、そのいい手を絶対的に信頼して、信じているのです。”

「あまり弄らない」
「焼き色を付けていきます」
とあの声が聞こえてきそうな文章でしょう。これなっかなかできることやおまへんで。自分の言葉がある、それを書き言葉にしても成り立つ、それはなかなか得難いことです。もちろん私などまだ「道半ば」と言うも恥ずかしい。

 タイトルどおり「一汁一菜」でいい、というテーマに対してなぜそれでいいのか、を解きほぐす本なので、気が楽になるような、しかしどうせ作るならもうちょっとなんとか、という気分になるような。
 また我が家の話で恐縮ですが、ウチは奥さんも母も味噌が苦手で、「健康食品だと思って啜る」というありさまなのでそもそも話が成り立ちません(笑)いや、コンソメスープや中華スープ、むしろ味噌なしの煮物でも理屈は同じ、とわかってはいても。

 とはいっても白ご飯さえあればなんとかなる、のはそのとおり。炊飯器の活躍が生活のルーティーンに入っていると、それを軸に「調理しようか」というエンジンが起動します。お鍋でも炊けるものですが(最近はいいお鍋も多いし、炊き上げ方も工夫されているし)、あの「1時間前から用意する」というのも、その1時間遊んでるぐらいならなんか炒めるか、という気分になるものです。

 ともかくも、毎日ご飯が食べられるのはしあわせなことです。

●土井善晴先生はいうまでもなく
勝先生のご子息なわけですが、僕らぐらいですと、お父さんの柔らかい言葉遣いもまだ覚えています。
 善晴先生がTVに出てきた時に
「息子さん顔ぜんぜん違うけどしゃべり方よー似てんな」
と思った記憶があります。たぶん、映像で見比べるとだいぶ違うんでしょうけど、雰囲気が。

●こないだ初めてのF1チャンピオンになったニコ・ロズベルグ、彼も同じくチャンピオン、ケケ・ロズベルグ(日本のファンにはウィリアムズ・ホンダでおなじみ)の息子なのですが、まだ31にも関わらずその5日後に電撃引退。世界中が「ええっ」とひっくり返ったのですが、後からよく思い出してみれば、そういえばニコはいつもなんだか、勝ったときでさえホッとしたような、心から喜びを爆発させるという感じではなく。
 走りたくないというほどではないにせよ、そこまで必死で「チャンピオンになる」ということに価値を見いだせなかったんじゃないかなあ、と今にして思います。だったら辞めればいいんでしょうけど、というか実際に辞めるわけですが、DNAのなせる技か性格の良さと血筋の引いた強運ゆえか、辞めるほど遅くもない。
 たいへんだったんだろうなあ、と思います。
 なんとなく若花田を思い出した。

●ということで、親の仕事をしあわせに仕事を継げる、というのは、あたりまえのようでいてそれそのものが幸運と努力の結果なんだな、と思ったり。

●装丁は佐藤卓さん。
書影ご覧になるとわかりますが、この手のシンプル路線はもう腐るほど書店にあり、しかし実際に手に取ると
「ん、これはなかなか」
あとがきに「地が米、字が菜、そして帯がお味噌汁の色」とあり、なるほど。(もちろん字は土井先生の)
 コンセプトもだいじですが、デザイナーの腕ももちろんだいじですな。

●ルイス(・ハミルトン)と比べて
やいのやいの、と言われ続けたニコですが、ウェバーともマッサともアーバインともパトレーゼともベルガーとも違って、ちゃんとチャンピオンになりましたからね。
 立派なもんス。
 デイモン・ヒルもジョーダンに乗ってから1つ勝ったし(F1では勝てるマシン以外で勝つのは豪運か豪腕か豪雨が必要)、2代目には2代目の意地があるってもんです。

 いやクルマ速くてもドライヴァーがよくないと勝てない、って意味で。

posted by ながたさん at 18:25| 雑記