2017年09月05日

老人が中学生を殴る


 聞いて「なんか変な話だなあ」と思ったら、自分の身に置き換えてみるとよい。
 僕が中学生と指導・演習込みで「脚本バトル」(なんだそりゃ)をやってたとして、脚本的に挑発(どうすんだ)されたらどうするか。
 そりゃ脚本で殴り返すでしょう(だからどう)。
 手を挙げるてのはたぶん一瞬も浮かばない。

 わたしまだ脚本家のつもりですが、「○○家」という存在である唯一の資格(あるいは証)は何かといえば、「覚悟」ではないかと思います。あるいはその覚悟を持つが故に現れる姿勢。
「言うてくれはったらなんでも脚本にしまっせ」
「自分で言うのもなんですがエエ仕事しまっせ」
と、相手もしくは社会の反応はどうあれ、自分ではそういうつもりで常に居る。
 もちろんそれは誰かに教える時でもそうで、脚本家として呼んでいただいたからには、
「ん? 君のホンはなかなか面白いじゃないか。しかし負けん!」
とこう。

 その覚悟があれば、たとえ一切売れてなくても今日始めた人でも「○○家」であり、それが無くなれば実績はどうあれその瞬間から「○○家」ではない。

 言うこと聞かんからといって殴る時点でその人は「○○家」ではなく、ということは(仮に)その場の主題が音楽であったら、
「音楽家ではない人に音楽を教わっている」
という奇怪な状況になるので、そういう場からは早く逃げ出した方がよい。
 ……というようなことを無意識で感じ取ったからこそ(子どもは鋭敏ですからね)中学生は反抗したようにも思います。

 もちろん体罰(暴力)否定の文脈から攻めてもいいのですが(言うまでもありませんが完全否定ですよわたしゃ)、老人は体罰(暴力)が当たり前の世界で長年生きてきた可能性が高く、喫煙のゾーニング問題を思い起こしてもわかりますように、「梯子を外された可哀想な人」という面は否定できない。
 昨日まで当たり前だったことを「いまはそういうのダメなんです」と言われても、すぐには受け入れがたいのは誰でも何でもそうです。たとえば僕だって、数年先に「人間運転ガソリン車禁止」なんて言われたら、その頃ロードスターなんか乗ってたりしたら泣き喚いて地べたを転がります。
「おじいちゃんのクルマ臭い!うるさい!危ない!」って孫に叱られるの。
 でもAIが運転して電気で動いてる方が安全にも環境にも明らかにいいのは頭では理解しても、身体が心がついていきません。
 だもので落とし所としては、個人の価値観には踏み込まない範囲で
「ここでは止めていただけますか」
と事前に釘を差しておくこと、ですかね。こっちが小役人で相手が大物だとなかなかやりにくいでしょうが、どこの役所にも大学出たての鉄砲玉みたいなのが居るでしょうから(居なきゃ取れ。毎年1人はこういう時用に)そいつに突っ込ませるのがよかろう。揉めたらYouTubeはじめSNSに動画アップで。今の子ならたぶん何も言わんでもやってくれるから組織ぐるみの足もつかん。

 村上春樹先生が高名な「壁と卵」の演説をした時、僕は生意気にも、
「壁と卵の分断を認めること自体が壁の思う壺」
などと偉そうな感想を持ったものですが、
「……とりあえずまずは卵の味方せなあかんか」
と考えを改めました。
 衆人環視の舞台上で中学生が老人を殴ったら、すぐ演目中止からの警察沙汰待ったなし、なのに、なぜ逆ならそうならないのか。
 Why Japanese people.
posted by ながたさん at 22:08| 雑記