2018年04月30日

京大・立て看の思い出


 安冨先輩(京大経済)がお怒りだ。




 京都大学では入試の二次試験が近くなると、各高校のOBたちが受験する後輩たちを応援する立て看板を作る。
 自分も受験の時、下見の時には無かったそれらが立ち並ぶ様を観て、そしてその中に地味で小サイズながらも(先輩方すみません)われらが大阪星光学院のそれを観て、たいへん心強かった。
 応援は効かない時も多いが、効く時もこのようにしっかりある。

 受けた恩は返さねばならぬ、翌年2月後期試験も終わった我々4人、今も呑み交わす、母校に凱旋した教授、人工衛星墜とし、田中支店長そしてぼくが集まって、立て看を作った。
 1枚は前年以上のサイズを、ということでベニヤ4枚立てつまり360cm×180cm。もちろん他校にはこれに倍・あるいは4倍する大きなものもあったが、まあ平均程度はあったと記憶している。
 これには我らサレジアン・スクールの父であり師であるヨシュア・イエズスを畏れ多くも描かせていただいた。右手にホットドック左手にコカ・コーラ、キャッチコピーは
「わたしがついてる」。
 時期が早かったので時計台正門前に近いところにエイヤと置けた。なにごとも先手必勝である。
 田中がかっぱらってきてくれたベニヤが1枚余ったので、これには時の人、サッダーム・フセインを描いた。むろん軍服姿で遠方を見つめ進行方向を力強く指し、キャッチは
「勝ち逃げあるのみ」。
 こちらは確か東大路から大学に入る交差点(東山東一条)に百万遍側から歩いてくると見える位置に置いた。

 後輩たちはさぞ心強かったことだろう。
 おのれで今思い出して鼻が高い。

 ご利益もちゃんとあって、優秀な36期と前年大量に積み残した35期がわんさか入って空前の活況を呈したと記憶する。

 安冨先生がおっしゃるように、ぼくも現役の時にこの立て看群に
「うわ、高校までとは違う」
という高揚感と、
「やっぱ京大って変なとこなんや」
というワクワク感をいただいた。
 毎年「折田先生像」が話題になるように
https://sites.google.com/site/freedomorita/
これらは時計台や西部講堂、吉田寮に匹敵する「京都大学の一部」であり、これを無くすことは普通に「損」である。だから無くすなら「なぜ」とは問わぬ、無くして得られる「得」を教えてもらいたい。
 もし得がないなら、そのままにしておくのがよいだろう。この人手不足の折、警告や撤去に掛ける莫大な人件費があまりにももったいない。その分、山中先生の研究所に寄付でもすればいい。

 行政向けに言えば、観光客だって求めるものは非日常、関西弁で言えば「ケッタイなもの」だ。日本各地の観光地が一生懸命非日常を作り出さんと知恵を絞り努力を重ねてるこのご時世、せっかくいまある「ケッタイなもの」を無くしてどうする。

 本業つまり教育と研究も滞り倒し、他にすべきことが山とあろうに、なぜこんな不要不急の事柄を言い出したりやり出したりするのか。まるで試験前に部屋の掃除を始める中学生ではないか。
 そんなことでは京大には入れませんよ?

posted by ながた at 17:23| 雑記