2018年08月24日

Appleの店員がいけすかない


 先日岐阜で驚いたことに、畏友・鉄心先生がスマートフォン通称スマフォを持っている。なんでも愛用の携帯電話が遂に通電しなくなり、ショップに駆け込むももちろん補修部品などなく「その形がよろしいのなら」と薦められたのがいわゆるガラホ。そんな中途半端なものを買うぐらいならと腹をくくって、という近年よくある哀しいパターン。
 それはいいとしてAQUOSつまりAndroid機だ。

「ちょ、iPadずっと使ってたやん、
 なんでiPhoneにせんの?
 新しいこと覚えんでええよ」
「だってAppleの店員いけすかないじゃん!」

 それはそうだけど。
 あとスタバの店員ね。
 要は「○○の店員」の役柄を演じてる感じの、あの作り笑顔と馴れ馴れしさに警戒センサーが反応してしまうのだろう。
 わかる。

 しかしそれは鉄心さんも僕も「大都市の下町」、目安としては「商店街」などという夢・空間がまだ生き残っている経済特区に住んでいる(た)から、
「ああいう心にもない演出は良くない」
と真心からの接客を求めてしまう、のかもしれない。
 だが今や、そんなのがちゃんとできるのは、

・売上が自分の懐に直接影響する小商店主とその家族
・前提として不特定多数を相手にしており、愛想が悪いと客を減らす(逆に言うと愛想が悪くても客が来る特権的地位に無い)

この2点を満たす店員だけであり、つまり大都市下町の商店街でしか味わえない夢・サーヴィスなのだ。
 大都市中心部に行くと店員はバイトになりどんなサーヴィスをしようがてめえの給料に直接影響がないので接客の質は当然バラつく。かたや地方へ行くと店舗数が少ないために客がへりくだるからか接客という概念がそもそも無い。

 で、その「商店街」が滅びつつある今、それに近いサーヴィスを提供しようとすると、
・賃労働者を解雇で脅して演技をさせる
しかあるまい。特にAppleやSTARBUCKSの場合、
「〜で働いている」
と言えば親戚の法事の場でカッコイイので、特に他に何の飛び道具も持たない賃労働者であるならば一度得たその地位を守らんと自分史上最高の笑顔を繰り出してくれるだろう。
 あるいは直接チップ制か、一部家電量販店ではなんとなく導入されている指名制(からの歩合評価)ならば接客にも気合いが入ろうが、大勢の人が入れ替わり立ち替わりし続けかつ3キャリアで血で血を洗う客の奪い合いをしている携帯キャリアではそれらはなかなか難しそうだ。

 ということで、その演技のインセンティブ(動機)がどこから来ているかには目をつぶれば、むしろ「演技をさせよう」と経営主体が考えているだけマシ、と最近私は評価しているので、スタバで
「こんにちわ〜」
と声を掛けられれば
「こんにちわー!」
とその場でちいさく飛び跳ねて返事をすることにしている。
 5歳の男の子のようにね。

 目には目を、演技には演技を。
 役者魂に火を点けろ。
 都会はいつも晴れ舞台。
posted by 犀角 at 16:37| 雑記