2018年09月16日

マンガ『ゴールデンカムイ』1-15 野田サトル マンガ『王様ランキング』 goriemon





https://mangahack.com/comics/5207


 こないだ久々に会ったOさんに「最近のマンガでオススメは」と聞かれ、それならこれかなあ、ということで対照的な2作品。

『ゴールデンカムイ』はザッツ・エンターテイメント、失踪した父を探すアイヌの少女と、「不死身の杉元」と恐れられた日露戦争帰りの元兵士。この2人が謎の金塊を巡り19世紀末の北海道を駆け回る。その過程で知り合うは「クセが凄い」男と女。脱獄王、元マタギ、苛烈な人生を生きるスナイパー、不敗の柔道家、人食い医師、ロシアの工作員?、占い女、極めつけは土方歳三&永倉新八。相対するは日本に軍事政権を築かんとする狂気の将校とその変態部下達。

 どなたかが「スタンドのないジョジョ3部」と評してたのですが、いや、もっと濃いです。もうお腹いっぱいです、って言ってるのに「まあまあ」と言いながら替え玉を鉢に突っ込んでチャーシューの塊を乗せてくれる店主。
 特濃のキャラ大盛り、「アイヌの金塊」という謎を追うワクワク、そしてちょっと昔の北海道を舞台にするセンス・オブ・ワンダー、とはいっても荒唐無稽に至る直前で止めるバランス感覚、また暴力とグロテスクが多めながらもコミカルなシーンも同じぐらいあって読後感は苦くない。
 エンタメ作品に限らず、何かを作る時には「乗せて乗せて」のプラス志向では要素同士が喧嘩してあまり上手くいかないことが多いものですが、これは乗せれば乗せるほど愉しい。そういう意味ではむしろ珍しいかも。

 で、この作品が修練を積んだプロがしっかりした準備と調査を経てたっぷりとした労力を掛けて築き上げるイメージの旅順要塞なら、次の作品は知将が手造り速成で築いた千早赤阪城。しかし地形地勢と知恵&勇気をフル活用し、大軍をも追い返す。

『王様ランキング』はザ・マンガ。画と内容の解像度のバランスが非常にいいのです。

 手塚神が大友克洋先生が出てきた時に、
「あんなものは僕にだって描けるんですよ」
と嘯いた話、あれは我々下々は嫉妬と負け惜しみの混合物だと思ってしまったわけですが、実は意外とそうではなく、
「そんな解像度で画を描いたら、
 そんな解像度の話が必要になるではないか。
 それはまず持つのか?
 持ったとしても求められているのか?」
という問いかけだったのかもしれません。
 マンガですから、実写でできないことの方により強みがあって、それは「どんなことでもできる」、つまりまるで無茶苦茶や強引なファンタジーを、無理矢理にでも読者に説得できること、です。
 それらのイメージは独創的であればあるほど抽象的にしか表現できないはずで(というのは同語反復で、わかりやすく具現化できてる時点で独創性は低い)、となれば「描き込めてる」って時点でそれはマンガの強みを活かしきって無いのではないか。

 鏡の魔女は鏡の魔女、強い王は強い王、影の一族は影の一族。
 それがわかればそれでいいのであって、それ以上は不要とまでは言わないまでも、投下する労力に比して得られる効用は落ちていく。
 おひとりでコツコツ描いて、そのノートが教室を回ってクラスメイトが見て楽しむ、早く次を描いてくれとせがむ、そんな雰囲気が
「いやーこれがマンガの原点でしょう」
みたいな気分になります。まあそんなこと言ってられないのは百も承知の上で。

 その形の話と、偶然か狙ってか、内容も合っている。
 主人公の王子は腕力がゼロで口がきけない。つまり王様=為政者として必要な武力と言語力、二つながらにして無い。しかし、であるがゆえにカゲを始めとする仲間がその周りに集い、彼が別の力を得ていく過程をサポートする。
 美麗な画、独特の世界観、緻密で複雑な話。
 マンガといえばそれらが必要、と我々は思い込んでるわけですが、それらが無ければマンガにならないのか?
 違う。

 ──ということで、二つ並べて読まれると、マンガという表現の大きな可能性、まだまだ開拓されていないそれを感じられて、なんだかホッとします。そしてtwitterなどSNS発のマンガが昨今はすぐ紙媒体になるように、『王様ランキング』のような方向でも、漫画家になれたり、お金を儲けたりできないわけではない世の中になってきた、という状況も(われわれ読者的には)心強い。

 というような小難しい話は抜きにして、2作品ともおもしろいです。
 どちらもどなたにもオススメ、どうぞ。

posted by ながたさん at 11:20| コンテンツ