2019年06月05日

本『京大変人講座』酒井敏ほか





 安冨先生(京大経済出身)のお知り合いに、
「酔うとドッグフードを買って交番に撒く」
という癖のある研究者がおられるそうですが、そういう人を研究した本ではないです。
「変人講座」とは「変人の主催する講座」のこと。

 ということで京大の現役の先生方が、その分野の最先端を一般向けに(実際にこの講座は一般開放されているそうです)わかりやすーく解説してある本。テーマは
「地球のできかた」(地球物理)
「鮨屋の親父はなぜムスッとしているのか」(経営)
「安心安全が人類を滅ぼす」(法哲学)
「不便の効用」(社会デザイン)
「ズルい生き物」(生物)
「ボチボチ」(生存戦略)
 それぞれどことなく小耳に挟んだことのあるようなないような品目、その道のプロがコンパクトにまとめて語ってくれるとありがたいです。楽しく読めました。

 当然ですが「変なもの」=「いまある大多数のものとちょっと違うもの」は、エッジ、辺縁、辺境、ヘリ、キワといったところで生まれ・育ち・大きくなるもので、それを考えるには現下の日本では千年の魔都・京都以上の場所はありますまい。
 怨霊とかいっぱい居るしね。将門とか道真とか。
 しかし最近、友人の教授が言うには、京大にも
「先生、ちゃんと授業をしてください」
などとのたまう狂気の輩が出没するらしく、いつまで「京大といえば変人の巣窟」というイメージが成立するかわかりません。
 そもそも自ら「変だ」と言い出してる時点で怪しい。
 本当の変人は自分が変だと思ってないものです。
 というかそれが「変」の定義。
 いや、そうはいっても、「変で始まって変でなくなる過程」こそがイノベーションとも言え、であるなら「変」そのものを意識して、変でないものとの距離感を測り続けることはいいことかもしれません?

 まあ一旦できあがった「風」学風なり社風なり、というのはそう簡単には変わらないので、立て看が無くなっても吉田寮が無くなっても、あるいは西部講堂にオリオン座が輝かなくなる日が来ても、きっとあの吉田山の麓には、変な人が蠢き続けるのではないか、となんの根拠もなく思ったりします。

 こないだの呑み会の時にOカメラマンに教えてもらった本です。多謝。

posted by 犀角 at 22:15| 雑記