2022年06月25日

見果てぬ夢を見て欲しい


以下はFantiaに投稿したテキストです。
こちらにもコピーしておきます。
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ながたです。ごぶさたです。
 FANTIAの事務局ってサービスが良くて、更新してないと、
「更新のネタで困ってませんか? だったら……」
みたいなメールをくれるんです。

 ホントすいません。

 小田嶋隆さんが亡くなって、最近のTwitterアイコン痩せはったなあ、と思ってたら重い病で。真っ当なことを真っ当に言い続けるだけで貴重な存在になる世の中ってどうなの?

 ということで、できるだけ真っ当なことを言おう。

 小生ずっと「創作とはなんぞや」みたいなことを考えたり、その結果を書き留めてきたりしたのですが、そもそも設問設定がおかしかったかもしれません。

 創作がなぜ行われるのか、といえば、それはもちろん、
「なにか言いたいことがある」
からでしょう。
 なんだかトートロジーっぽいですが、言いたいことを、それぞれの媒体に乗る形にかたちづくる、音楽なら曲にする、絵なら色と形にする、文章ならこんなかんじ、これが創作ってものではないか、と思うんです。
 とすると、
「言いたいことが言えれば、それでいい」
と究極的にはそうなりますね。
 つまり「やり方」なんてそもそも無い。

 義父が歌人で──なんかカッコいいなこの6文字──師匠が福島泰樹さん。不勉強で存じ上げなかったのですが、「絶叫コンサート」つまり舞台上で短歌を叫び上げるスタイルを長年やっておられて、それはおそらく、
「こうせねばならない」
という止むに止まれぬウチからの噴き上がりに身を任せた結果、生まれたスタイルなんだろう、と思うんです。だから説得力があって、ひとを引きつけて、自分にも(傍から見ているよりも)無理がないから、長く続く。

 とすると──
 外形的・形式的なところから、たとえばこれはロックだ、これはポップスだ、ロックである以上はこういうリズムでこういうコード進行で……という話は、好事家や評論家が分類整理考察研究のために行うのはいいとして、プレーヤーにとってはあまり意味のない話ですね。
 スポーツですら、たとえばサッカーでケビン・デブライネを指して「現代的インサイドハーフの完成形」などと評したりするわけですが、デブ先生はまさかそうなろうと思ったり、そうしようと思ったりしてそうなってるわけではなく、ただ与えられたタスクをより効果的に生産的にこなすには、自分の持ってるリソース、技術や走力・筋力などをどう発揮すればいいのか、そこへハメ込んでいくうちに、外形(スタイル)ができあがる。

 要するにですね。
「あんまりこんなこと考えてても意味ないなあ」
ってことがようやく腑に落ちたんです(笑)
 いや、当初から薄々そうじゃないかなと訝しんではいたんですが、普遍的にそうだな、つまり僕もそうだな、とやっと納得できる気がしてきたんです、最近。
 そこまでやらんとね、方向は変わらないですよ。
 しつこいかなあ?
 しつこさっていうのは、強みでもあるけど、弱みにもなりますね。どんな特性・特徴もそうだとおもいますけど。

 ともあれ、それよりは、中身、自分の中にある、
「言いたいこと」
にちゃんと気をつけ続ける、というのが大事ですね。
 それは微妙に変わりゆくものです。
 大雑把に言って同じものでも、レイヤーが上下したり……
 僕の例でいうと、改めて言うのも照れちゃいますけど、
「愛だろ、愛」
みたいなところがですね、わたしの主張なわけです。
 しかし愛にもいろいろあって、「彼女が好きだ」みたいなスイートなものから、「好きだからこそ(彼女のためを思って)別れる」みたいなビターなものまで、まあ物語はなんぼでもできるわけですね。
 でもその一番のピントが合ってるところは、
「ひとを想いつづけるこころ」
みたいなところです、と。
 だから同じです、と。

 一応、『星の王子くん』で描きたかったのはそういうところで、5人のヒロインはそれぞれの形で王子くんへの想いを持っているわけですが、まあ、全部尊いですよ、と。
 それをけっこう一生懸命やったのに、まあだいぶ業界的に下降線を辿っていた頃とはいえ、反応もあまりなくスーッと流れていっちゃったので、ちょっとガックリきて、そんなこともすっかり忘れていました。
 ま、直後に東日本大震災でしたしね。(発売日は2011年2月26日)あのドエライ災害の模様がTVから延々流れてきて、直後に原発がドカンと来ればなにもかも吹っ飛びます。
 11年かぁ……
 振り返ると、祖母が亡くなったり中国へ遊びに行ったり書籍のライトをしたり猫が3匹ほどやってきたり、カングー乗ってデミオ乗って、結婚して子供が生まれてそしてコロナが……とイベント盛りだくさんだったんですけど、あっという間ですね。

 なんの話でしたっけ。

 そうつまり、主張、提案、主題、テーマ、言い方はなんでもいいんですけど、それはそのひとがそう思っているものなので、いいもわるいもなく、正解も不良もなく、優秀か劣悪かも当然なく、なんでもいいんです。
 不倫だって大テーマだし、殺人だって、極端に言えばコナン君も「殺人」にまつわるいろいろ、が作品大きなウェイトを占めてるわけだし。
 で、それに合った「形作り」の方法論は、それぞれの作者のリソース(この場合は描写力とか、取材力とか、どこの立ち位置に共感・肩入れするか、とかとか)をどう配分するか、足りないものをどう補うか、みたいなところで、作品個別個別に現場・現物合わせで作り上げ続けるしか無いわけです。
 注文住宅みたいに。
 万人受けする定番のサイズやレイアウトの並ぶ建売住宅と違って、こういう趣向を持ったこんな人達の集まりである家族が、この地域でゆったり暮らしたい、という要望に、設計・施工で応える。
 ああそうか、カッコイイ(そしてできれば高効率な)建売が量産できるシステムができれば楽で儲かる……みたいなスケベ心が、迷宮の入り口だったのかもしれませんね。
 儲かる方はともかく、楽はしたい。
 しんどいんですよ創作って。
 でもそれは、原理的に、ありうるんですけど、無いんです。
 つまりそういうところを狙うと、どこかで見たような感じを全編から受けてしまう。そりゃそうですよ鉄板要素ばかり並べるんだから。
 それは建築建物とか工業製品ならアリなんですけど、コンテンツでは致命的なんです。「なんだこれ見たこと無いぞ」があればあるほどいいので。
 で、そういうことをするって、不安だしお手本無いし効率悪いし、つまり「しんどい」んですよね。

 楽しいことやってるはずなのにこんなにしんどいのは、おかしいんじゃないのか?
 いや、おかしくないんです、楽しいことは、しんどいんです。
 50になると思います、夜通し酒を呑み明かす、「ラストオーダーです」「ピッチャーを3つ!」あれもうしんどうてできません。でも超楽しかった。
 サッカーでも料理でもクルマでも全部そうですよ、いまさら、この電気でGo!のご時世にFRディーゼル6気筒8ATオール自社製完全新作とか気ィ狂ってるでしょマツダ。
 だから世界中のクルマバカが浮足立ってるんですよ(笑)
「俺は嫌いじゃないぜそういうの」
とかニヘニヘしつつ。
 あそれで見直したのがレクサスオーナー。「RX注文したけどいつ来るかわかんないからCX-60にするかも」とか言ってる。あの人達ってクルマとしての価値がわかってないだけで、商品としての価値は意外とちゃんと見てますね。そりゃそうか、ブランド買いするならジャーマン3にするわけで、Lの字買ってる時点で一応頭と感覚は生きてる。
 褒めてますよー!

 というようなことで、
 とってももったいないけど、
 これにてこのコース破棄、という感じです。
 我ながら、長い夢を見ましたな。
 20年ぐらい?
 まあ、男の子ですから!
 見果てぬ夢を見てなんぼ!

「うまいやり方は無い。
 その時にできるやり方があって、そのやり方しか無い」

と、こんなまとめですかね。
posted by 犀角 at 00:00| 雑記