2022年04月02日

マヨネーズ


以下はFantiaに投稿したテキストです。
こちらにもコピーしておきます。
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もちろん、接続してるかどうかは気にしないという手もある。

 前回書いてしばらくウツラウツラ
(子守しながら天井見上げて考えるのにいいネタです)
考えてましたら、
 やっぱり、
「接続の工夫」方向を攻めるのはなかなか難しいのかなあ……
 とか!

 あーっ!
 ちゃぶ台がー!

「コミュニケーションは受け手がする」(byドラッカー)
という点をピュアに信じるなら、
送り手には工夫もへちゃらも無いですよね。

 オーディオ、という沼がありますが、あそこ沈んでる人とまだ足元ちゃぷちゃぷ言わせてる人の違いは、ケーブルだと思います。
 まあ百歩譲って電源ラインやスピーカーケーブルはアナログ要素もあるので、あるかもないかも、とも思いますが、デジタル系の伝送ケーブルまで「違う!」と言われだすとどうにも反応しようがない。
 でも彼ら彼女らには間違いなく感じてる「事実」で、それつまり彼ら彼女らが「違う」といえばそれは「違う」んです。「客観的な」とかそういうことは関係ない。
 耳、聴覚というのは五感の中でも特にそれ──脳による補正──が強力らしいです。

 というような現象というか「事実」を引っ張ってくると、だいたいどんな作品でも受け手が好きなように、感じるままに受け取るのであって、そもその「受け取り方」なんて送り手にはどうにもならない。
 ラーメン、「こう喰え」って締め付けてくる店ありますけど、そう言われたからって店側がイメージしてる味にはならない。
 当然ですわね。

 そう考えてくると、
 むしろそういう方面ぜんぶ捨てちゃって、
「つくりたいようにつくる」
っていうのが結局は一番ピュアで、
その結果としてむしろスッと通る、
なんてことが起きるのかも?

『伝え方が9割』
という書名を書店で見かけましたが、
もしそうなら、
「伝え方」を諦めれば、
9割も労力・リソースを削れるってことですよね(笑)
 その9割使ってブツそのものを向上させる努力をした方が、結果として良くないッスか。
 ものすごいシャレオツなCMやってるTVと、同サイズで店頭で観て画質差わからなくて9割引きの知らんTV、どっち買います?
 微妙かな(笑)
 スマホだとそれに近い問いありますね、最近半導体不足でボトムが上がりましたけど、こないだまでRedmi9Tが13400円とかで売ってて、ちょうど最新iPhoneのMax盛りの10分の1とかです。
 やれることほとんど変わんないです。
 どっちがいいってことじゃなくて、どっちでもいいというか。

 もちろん、例えば文章なら誤字脱字を無くす、とか、適切な句読点、とか、そういう「伝え方」は簡単に向上できるのでやっておけばいいでしょう。しかし、例えば構成とか章立てとか、創作なら場面ごとの起伏みたいなものでさえ、実は書き手が思ってるほど機能していないのではないか。

 でも、それを言っちゃあおしめぇよ、というか、
「ほな(よりよい作品を生むには)どうすんねん!」
という疑問が次に湧きます。
 ですがその、
「よりよい」
っていうのがそもそも幻で、当人は「よりよくなった」と思い込んでるけど、受け手からすれば全然そうでもなかったりもします。
 デビュー作が最高……という人はさすがに少ないにしても、ガッと人気が出た初期作がキャリアベスト、という人はかなり多い印象です。
 荒木飛呂彦先生の『ジョジョ』で何部が好きですか、と問われるとだいたい1〜3部で、まれに『バオー来訪者』と答えるバカが居る、という感じでしょう?
 おじいちゃーん!

「小説という表現形式のたのもしさは、マヨネーズをつくるほどの厳密さもないことである」(by司馬遼太郎)

 これ『坂の上の雲』のあとがきなので聞かれたこともあるかと思いますが、司馬先生いつもこの「マヨネーズ」を使って、
「小説に失敗なんてないよ、
 作者の満足度に違いはあるけど」
とおっしゃるのです。
 ちょっと牽強付会かもしれませんが、なにか伝えたいことや描写したいことがあった時に、「正解」はもちろん無くて、その時の作者が良かれと思う描き方をすれば、それでOKなんだ、と。
 多くの作者が
「もうすこしうまくできないか、うまく伝えられないか」
ともう節々で悶えまくるわけですが、それは実はあまり……なんと言うんでしょう、効果はない、あるいは、意味はない。
 司馬先生の全盛期のめちゃくちゃな生産能力、文字通り桁違いのそれを見ると、確かになんかちょっとでもそういう「悶え」をやってたら到底間に合わないようなペースなので、もう、
「書いたら終わり」
ぐらいの勢いでやってたはずです。
 で、どれもこれもがベストセラー。
 それをもちろん「天才」っていう言葉で片付けるのは簡単なんですが(事実、海音寺潮五郎先生が賞レースの審査員として「(他の審査員は)なんでわからんのだあの天才を」と言った)
むしろ天才性があるとするならその、
「どんなふうに書いてもあんま変わらんで」
という点を早いうちから見出したところ、にあるのかもしれません。
 そして他の審査員の先生方、が無意識的に目を瞑ろうとしたのは、
「もしそういうやり方が成立するなら、
『小説家』というプロが成立しなくなるのではないか」
という恐れからかもしれません。
 ほんの数年前まで、芸人さんたちがYouTuberを黙殺したように。
 でもその後の流れとしてはご存知のように、実績ある芸人さん(で動画向きの芸風の人)がYouTubeやり始めるとガンガン再生回数回るわけで、つまりそこ(舞台技術みたいなもの)は価値(おもしろさ)の源泉ではあんまりなかった、下支えする技術ではあるけど、ということが明らかになっただけのことです。

 延々と「うまいことやる方法」を考えてきたつもりなんですが、
「無い」
っていうのはなかなか証明できないので、もし本当は無いとしても、探し続けてしまうわけですね。
 でもそれこそ20年とか時間費やしてまだ見つからないなら、もう探索を止めて手持ちのリソースをありったけブチ込むことだけ考えて生産し続けた方がいいかなあ、と思う昨今です。
 あるいはちょっとケムに巻く言い方するなら、
「うまいことやろうとしない、
 のが一番うまいことやるやり方」
とかね。
 伝え方っていうけど、やってほしいことややってほしくないことを3点箇条書きで書くのがおそらく一番ですよね。そうすると角が立つからいろいろこね回して台無しにするんですけど、角立っていいなら伝わるのは伝わる。
 つまり「伝え方」って言ってるのは嘘もしくは欺瞞もしくは両方で、
「動かし方」
でしょう? そう言うとがぜん難易度上がるのがわかりますよね。だからそう言ってないだけで。
 小説でも音楽でも絵でもなんでも、別に動いてもらいたいわけではないので──そりゃ心が動いたらもちろん嬉しいですけど──そこを捨てるなら、すなわち、「感動して欲しい」という欲を打ち捨てるなら……ほんとにマヨネーズよりも自由に作っていいんじゃないですかね。

 ベストセラー『嫌われる勇気』にアドラー心理学の考え方で、
「人の悩みは人間関係が9割」
みたいな話が書いてあって(ちょっとうろ覚え)
「伝え方」っていうのは人間関係の問題ですから、
「人を動かそうとしない」
と決めれば0.9かける0.9で0.81、
つまり80%も人生が楽になりますよ。
 2歳9ヶ月を日がな一日相手してますと、確かに、
「こうしてほしい」
と思わなければ、8割ぐらい楽になります。
 物理的に危険な行為を止めればいいだけなので。
「いちごだけ食べずに白米食べてほしい」「動画そんなに近くで観ないでほしい」「階段はだっこさせずに自分で登ってほしい」「スプーンは使えるんだから使ってほしい」……
 山のようにある「ほしい」を止めれば。
 なかなか止められないんですけどね(笑)

 つまりこれもちょっとメタな話で、
「そうすれば簡単なんだけど、
 そうできない・そうしたくないもんなんだよ、
 人間は」
というもので、だからさらっとできちゃう人は天才と呼ばれるんでしょうね。どんな面でも。経営とかスポーツとかでも、なんかそういうところがあって、そこブッチできる人が他に対して8割増しみたいなパフォーマンス出して周りびっくりする。

 ……とか言ってるとこっちはこっちで大変そうだなおい。

 まとにかくそのー……
「『うまいこととやろう』とはしないでおこう、
 というやり方」
はある、という程度のことは言える、と思います。
 でそれがあまり話題に上らないのは、それで成功した例が少ない(ように見える)のと、あと
「これがうまいやり方ですよ!」
というのがすごくお金になるから、でしょうね。
posted by 犀角 at 00:00| 雑記