2021年05月23日
ソデトーク #02 『書き方・ストーリー編』
以下はFantiaに投稿したテキストです。
こちらにもコピーしておきます。
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■書き方・ストーリー編
「人間の生活」を自分を振り返りながら考えると、あまり代わり映えのしないフツーの日々が続いて、たまに転機、分岐点となる(と後から理解する)場面が来ます。
→●→●→……
作品が誰のものにつけ人生を描くものなら、同じように、分岐点とそれ以外に大雑把に分けられましょう。
頭絞って考えないといけないのは、主にこの分岐点のところで、あとのところは多少ゆるくてもブレてても無問題、だと思います。
一から百まで一文一文字ぜんぶキッチリ詰めていくとこれはもう大変なんですが、その必要は多分無い。
料理でも、炒めものなら火を止めるタイミングだけが重要で、それ以外はだいたいボーッと見つめてるだけか、別の調理をしていたります。火が化学変化を刻一刻生んでるからといって(いやだからむしろ)常になにかしなくてはいけないわけではない。
だもので、マラソン・ランナーのように、
「次の分岐点」
をだいたい見定めたら、そこまでは適当に遊びながら走ればいい。
で、分岐点に来たら、考える。
将棋の手と同じで、何十手先までもは読めないです。
打った手がどう発展していくかは、打ってみないとわからない。将棋より読めないかも。
とりあえず分岐点の選択肢を並べて考えて、どれがいちばん盛り上がりそうか、で、エイヤ、と選ぶ。
ここで「どう」選ぶかはたぶん作家の個性次第。
僕はいま言ったように「盛り上がり」というかテンションの「駆け上がり」みたいなところをよく重視します。
あるいは、
「誰も見たこと無い」
とか、
「ズレてる」
なんておかしみを優先するかもしれません。もちろん同じ人でも作品や場面に応じて変えるでしょう。
あるいは場合によっては、分岐点に来てるけど実は分岐しようもなく、「これ一択でしょう!」てな時もあるでしょうし。
こうすると(こうなってくると)だいぶ楽です。
炒めものってある瞬間に香りが変わったり、音が変わったりします。
僕はそこで次の工程に入るようにしてるのですが、最初はこれがよくわからないんですね。「火が通ったら」とかレシピに書いてあって「わかるか!」とか。「水分が飛んだら」とか。水分の蒸発していく「じゅわーっ」って音が、食材そのものが焦げる「パチパチ」的な音に変わるんです。
ここだけ意識入れればいい。
『ドラえもん』の最初の方で、タイムパラドックス(ジャイ子ではなくしずかちゃんと結婚すると君が生まれないのでは)を心配するのび太にセワシ君が
「いや、行き方はいろいろあっても到着点は同じだから僕は存在するよ」
みたいなことを言って、幼心に「へーそんなもんなのか」と思いましたが、いまごろになってようやく「そうかも」と思えます。
これは余談。
ストーリー作りというと、まず起伏の形を予め決めておいて、そこへシーンをハメ込んでいく……みたいな「ハリウッド脚本術」的なものを思い浮かべるかと思いますが、というかそれはそれでいいんですけど、あんまりそれやると
「はいここで一回うまくいきかけるけど失敗する」
「はいここで恋人と揉める」
てな具合に「配球がバレる」というピッチャーとして一番マズいところへ追い込まれてしまいます。
お恥ずかしい告白ですが、僕『星の王子くん』の時に、一生懸命キッチリ設計図書いてそこにハメるように作っていったんですけど、かなりしんどかったです。
よく知ってるようなパターンの引力が凄い。
よくあるパターンは効果的だからよくあるわけで、効果を求めインパクトを事前に想定していくと、よくあるパターンにどんどん近づきます。
まずい、と思って外すとてきめん弱くなるので、ベタに戻して……みたいな右往左往をずーっとやってました。
上記のやり方であったとしても分岐点で「よくある」方を選び続けると、「話としてはよくある話」になってしまいます。
でも、そこに至る「→」の部分が自由ではっちゃけてたら、まあ結構イケるもんです。
むしろその場合、通常部で暴れたいから分岐点では安牌を選ぶ、というやり方もある。
吉本新喜劇とか。
コンテンツにはフィジカルな面とロジカルな面があって(ここはまたいずれ詰めたいですが)、事前に頭で考えられるのは主にロジカル面。
フィジカルは現場で本番で無いと何が起こるかわかりません。
で、それはリアルタイム性の薄そうな小説や脚本のような文章作品でも同じです。
2歳前の子どもに絵本を読んであげるのですが、同じ本でも読み方、抑揚や声色をデフォルメ掛けて芝居っぽくやってあげると喜びます。
ないがしろにできません。
むしろ半分ぐらいフィジカル。
大谷翔平を見てください、あの100年に1度の天才、センスの塊がムキムキマッチョに作り上げてきましたよ’21シーズン。
まとめ
・ストーリーには通常部と分岐点があって、
分岐点がだいじ。気合を入れて考えたり感じたりする。
通常部はリラックスして好きなように描く。
・分岐点で次を読むのは一手。
進んでまた一手読む。
最初から作品全体を見渡そうなんて計算量が爆発して無理です。
・分岐点でのルートの「選び方」こそが作家の個性。
自分を信じて(ビリーブ
自分を愛して(ラヴ
ちょっとおかしなことになったらしめたもの、それこそがオリジナリティってヤツですよダンナ。おめでとう。
See you!
posted by 犀角 at 00:00| 雑記