2013年10月21日

本「ハーメルンの死の舞踏」ミヒャエル・エンデ




 謎多き「笛吹き男」もエンデ先生の手にかかればこれこの通り。

 訳の子安美智子さんが懇切丁寧な解説をお書きになっているので屋上屋ではありますが、『ハーメルンの笛吹き男』の寓話はあれ一体何を示しているのかよくわかりませんよね。
 いや、寓話というものは聞く者が様々な解釈ができるからこそ、つまり「自分の物語」を作り上げられるからこそ、多くの人の心に残る、のかもしれません。安冨歩先生がよく指摘する例では「『ハウルの動く城』は100人が100人違う解釈をする」。

 さてエンデ先生の解釈は非常にクリアで非常に恐ろしい。
 キモは「大王ねずみ」という補助線です。
 この非常に重要なキャラクター(システム)の追加によって、あの不思議な寓話が一気に生々しすぎる「近代」そしてそこに生きる我々への告発になっています。
 これ以上はどうぞ本編で。短いので何を言ってもネタバレになります。
「大王ねずみ」に何を代入しても話として成立するのが、大変ゲンナリします。

 初版93年ただいま絶版中ですが(同じ岩波の全集には入っています)、つまり20年前ならこういう寓話を「耳が痛い」と聞ける余裕がまだあったんですよ。世界的に。
 いまもうたぶん現代人は耐えられない。
 薄笑い浮かべて触ろうともしない。
 だってみんな……リアル大王ねずみと悪戦苦闘してますからね……

 大変僭越ながら「脚本巧いなあ」とか上から目線で見てましたのですが、不勉強ながら存じあげませんでした、エンデ先生元々演劇少年で俳優もやれば本も書く人で……
 まあ巧い人は何を書かせても巧いんですけれども。ヴィジョンがね、あるから。

 今も世界中に笛吹き男が現れては笛を吹き、黙殺という殺され方をしているわけですが、エンデ先生ももちろん笛吹き男。原作とは違う彼の結末に、ご本人の若い最晩年の予感が込められているようで、切ないです。

 笛は吹けなくても、せめてその音は聞こえる人間でありたい。
posted by 犀角 at 02:25|