2013年11月27日

映画「かぐや姫の物語」監督:高畑勲


http://kaguyahime-monogatari.jp/

 観れ。
(以下ネタバレあり)

 改めていうもおろかなり、ですが、高畑監督は鬼。冒頭から男鹿巨匠の描く美しい里山風景に幼い日に毎週観た『日本昔ばなし』を思い出してほんわりしてると聞こえてくるのは故・地井武男さんと宮本信子さんの声、翁と媼。
 この二人が、すごい。
 宮本さんのどこまでも姫のことを想う母心ももちろん非の打ち所が無いのですが、やはり、こういう作品外のファクターを織り込んで観るのは邪道と思いつつも、地井さんのまさに絶唱が圧倒的。
 かぐや姫が帰らなければならないと知った時の狼狽える場面など、誰しも間違いなくブワッと来ます。

 声で言うと五人の貴公子と帝は事前にキャスト知っておくと画面に出た時プッと吹けて良いですよ。
『アリエッティ』の時、樹木希林さんが「これキャスト決め打ちで描いただろw」というキャラでバカはまりしてたので、あの感じ。
 でもそれはあくまで脇で、姫とキーパーソンの捨丸の二人はフレッシュで良かったですよ。

 話の中身はド直球です。
 なんにも変わったことしてません。
 あ、まあ、その捨丸という少年→青年を幼なじみにして絡めてあるのが新要素といえばいえるのですが、でもこれはたとえば恋の相手のようなポイントではない。むしろ「姫」がどんな時にどのように心を動かすか、の受け手、土台となるキャラです。

『竹取物語』を読む時の一番のポイントは、姫がいつ「月の住人」としての自意識を持つか(目覚めるか)だと思います。
 そこが物語の転換点、ティッピング・ポイント。
 ここで当人にどういう芝居をさせるか、それを知った周囲にどういう芝居をさせるか。

 いままであたりまえだと思っていたことがまったくあたりまえではなくなる。
 時間が限られていて、別れは必ず来る。

 気づきませんかそう、「死」です。
 われわれはこの誰しも必ず迎える現実から普段目を逸らして生きています。正常性バイアスってヤツです。
 芸術の役目の一つは、かかりすぎたバイアスを強制的に矯正して、
「いや、人は、そして自分も、死ぬよ」
と思い出させてくれる、ことです。
 シンプルにそこを主題にしたからこそ、この物語が日本最古の物語のひとつとして延々と語り継がれているのでしょう。

 僕も実は何度かこの『かぐや姫』モティーフを採用しています。そのたびごとに(僕の作品ではいつものことですが)
「『運命』は変えられる!」
と立ち向かうのですが、この作品観て初めて
「あ、これ『死』か」
と「受け入れざるを得ないもの」として考えさせられました。お恥ずかしい。

 その「転換点」に向けて姫の心の中のゆらぎを丁寧に丁寧に描いているのがたいへん印象的でした。普通はこのモティーフですともっと「最初から全部わかっている異能人」的に描いてしまいませんか? ずっと人間臭くて「本当に宝物を持ってきてしまったのかしら」とビクビク怯えるような、とても新鮮なかぐや姫像でした。

 しかし五人の貴公子ってのがまた振るってますよねえ。その頃から日本人は戦隊が大好きだったんです……というのは冗談として。

 田畑智子さん演ずる侍女が出てきた瞬間から
「あっ、これ最後に一発やらかしてくれるキャラだ」
と思えば案の定一番カッコイイとこ持ってったり、ああそうそう、なにより
「雪の中、周りに妖精が飛びつつ行き倒れる」
はまさに高畑節十八番、『ホルス』のヒルダ。歌も歌うし。
 キターーッ!って感じで拍手しそうになりました。
 てな具合に、エンタメとしても外すところ無く(もちろんのことながら)一流です。

 劇場予告でもお見かけになられた方も多かろう脱走シーンのド迫力は僕もちょっと観たことがないもので、極めればこれだけの線でこれだけのインパクトがあるんだ、と改めて「表現力」とは何かを考えさせられた次第。
 赤ちゃん・子ども時代のリアルな描写はもう言わずもがなですね、ジブリですしね。
 御存知の通り宮崎監督は自身が超巧い絵描きで、高畑監督は絵を描かない人です。その違いが随所に出てるので、「これ『ポニョ』だったらどうなってたかな」なんて思いつつ観るのもまた一興。
 まあとにかく何か作ってる気になってる人間はみんな観に行っとけ。もう20年とか出ないぜこんな作品。
 金も時間も盛大に掛かったのが最初の3分でよくわかります。
 逆に言うと、なんでも本気で作るとそのぐらい掛かるのよ。うん。

 小難しいことは抜きにして美しい絵とアニメならではの動き、懐かしいけど聞いたことのない音楽と人格にじみ出る声・芝居。「人間の技」に取り囲まれる、とてもしあわせな2時間17分です。
 映画館で、観たほうが、いいと思う。
posted by 犀角 at 00:11| コンテンツ