2018年10月04日

本「大坂堂島米市場」高槻泰郎





 ジュンク堂大阪本店つまりまさにその「堂島」アバンザ店で猛プッシュされておりましたので思わず購入。

「世界初の商品先物市場」と讃えられることも多い大坂米市場について詳説。仕組み、取引の様子、コントロールしようとする江戸幕府&大坂奉行所と、それに対応する米商人たちが活写されており、たいへんおもしろいです。経済系のジョブや学生の人はマスト・リード。

 世は仮想通貨で沸き立ってますが、大坂商人たちも「立物米」という「指数」の売り買いを行ってました。これ現物との交換関係が無いんです(途中まで)。
 ここが非経済系の方には理解に苦しむところで、「現物」の市場はわかる、「現物の先物」もリスクヘッジなどと考えればまあ理解できる、けどもその「指数」をやりとりって一体何?
 合理的な説明はたぶんつかず、本音としては
「強い者が弱い者を市場に引き込んでさらにかっぱぐシステム」
なんですが、まあそれはそれとしてそこで起こる悲喜こもごもが、第三者としてはおもしろい。
 後半に米相場に取り組んだ地方の商家の話が出てくるのですが、そこは米価の低値安定によって「米だけ商っててももうムリだ」と思い立って米相場を始めるのです。
 低年収に追い詰められて仮想通貨に手を出す今の人とそっくり。ただし長い間取引の記録が残っているので、そこそこセンスがあって「勝ち続けた」のでしょうが、それもつまり長年米を扱ってきたおかげではないかと思ったり。

 江戸幕府も手をこまねいて見てたわけではなく、あの手この手で市場に介入しようとするのですが、彼らの視点は米価(をできれば高値)安定で、そうであるならば別に良い、と。
 僕らが日本史習った頃ですと、江戸幕府も諸大名も「市場経済」に対応できず四苦八苦する、というイメージでしたが、人間はそんな甘いものではなく、むしろ大名は支配下の農民に「土地と品種の相性などどうでもいいから、とにかく見栄えのいい米を出せ」と命ずるあたりは過剰適応とさえ言える。
 サンプル米出荷の時は180人からで一粒一粒選り分けたらしいですよ二俵分ほど。
 幕府もちゃんと学習回路が働いていて、前回の施策で上手く行かなかったり反発を受けたところは調整する。固陋な頭で「ならんものはならん」と言うだけではない。もっと現実的&合理的です。

 すごく江戸時代の商人たちや幕府のお役人たちが身近に感じられ、お米ってものは昔から複雑なシステムをくぐって届けられる、極めて大切な物品なんだなあ、と改めて思えます。
 よい本です。おすすめ。

posted by ながたさん at 15:29|

2018年09月29日

読書記録

 ブログあんまり書かない時期に読んで、感想文書かないままきちゃった本がいくらかあります。
 感想文を書く書かないは、モノの良し悪しや好き嫌いにあんまり関係ありません。「なんとなく書きにくい」とか「感じたことの言語化の必要を感じない」とか。ムリに書くのも変な話だし。

 ともあれ書名は記録しているので、何の気なしに分類してみると、6種類ぐらいに分けられた。
 ハード思想、ソフト思想、カジュアル経済、歴史(特に日本史)、日本語、食。
 興味対象すくなっ(笑)
 ほとんどなんにも興味ないんですね僕……おかしいな、もうちょっといろんなことに興味あるはずなんだけどな。ま、サッカー、クルマ、ガジェット、マ/ア/ゲなんかはほとんどwebから仕入れる、というのもあると思いますけど……あとは人から得るしかないものとか。実践あるのみとか。
 それにしても読む本偏ってるな、と思いつつ以下に記録だけしておきます。

■ハード思想
・本「マッハとニーチェ 世紀転換期思想史」木田元



 西洋人にも「力学的世界観」に違和感を抱いた人がいる。そりゃそうですよね。

・本「精神分析の危機」 エーリッヒ・フロム(岡部慶三 訳)



 フロイトとユング(それからアドラー)を巧いこと斬っており、「だからフロムは無視されるんだな!」とよくわかる本です。

・本「表徴の帝国」ロラン・バルト



 フランス人はなぜ日本の社会の猥雑さを好意的に見てくれるんでしょうね。

・本「人間の建設」小林秀雄・岡潔



 文・理の巨人がベクトル行き違いのようなシナジーの起きない対談をする。

・本「魂深き人びと──西欧中世からの反骨精神」香田芳樹



「反骨」とか簡単に言いますけどホンマ大変だ、というのを歴史上の反骨マンを挙げて詳説。ツッパリたい若者に「やるならこのぐらい」と読ませて可愛い子羊に舞い戻らせたいですね。

・本「創造的進化」アンリ・ベルクソン



 ベルクソン難しいですね。でもこの本よく言われるように「人=作る動物」というのがテーマかなあ?

■ソフト思想
・本「科学するブッダ 犀の角たち」 佐々木閑



 僕の雅号を知った方からいただいた本です。内容は僕が昔よく言ってたようなA対Bみたいな話です。もっとちゃんとしてます。

・本「人間にとって寿命とはなにか」 本川達雄



 本川先生おもしろいですね。本人がおもしろすぎてテーマが頭に入らない。

・本「物理数学の直観的方法」長沼伸一郎
・本「現代経済学の直観的方法」長沼伸一郎



 数学の概念は腑に落ちないと使いこなせないですねえ。僕には難しすぎました。

・本「今までにない職業をつくる」甲野善紀



 久しぶりに甲野先生の本を読みました。相変わらずお元気でよかった。

・本「ハーバードの人生が変わる東洋哲学」マイケル・ピュエット



 なんかうまいこと説明してくれてる気がするんですが、翌日には忘れてる。「説明」を拒否するのが東洋哲学ではないか、などとわかったふりをして今日を生きる。

・本「勉強の哲学」千葉雅也



「勉強すればするほどバカになる」というのは比喩でも何でもなく本当にそうです。世界が広がってしまうので、自分の得物で切れる範囲は(割合的に)どんどん小さくなる。

・本「逆説の法則」西成活裕



 渋滞学でお馴染み西成さんが、長期的視野を持つことの重要性をロジカルに説く。でも人間それができない。

・本「どうして高校生が数学を学ばなければならないの?」大竹真一:編



 高校といわず中学から「いまやってる概念の習熟は、これに必要で、それはこれに必要で、ゆくゆくは月へ行ける」とかちゃんと「どこをやってるか」説明してほしいですよね。

■カジュアル経済
・本「知らないとソンする! 価格と儲けのカラクリ」神樹兵輔



 小耳に挟む各業界のビジネスモデルをまとめてあります。

・本「私の財産告白」本多静六



 まあ高度経済成長期はなにをやっても儲かりますからなあ……

■歴史(特に日本史)
・本「没後20年 司馬遼太郎の言葉2 「この国のかたち」」週間朝日MOOK



・本「歴史のなかの邂逅 8 ある明治の庶民」司馬遼太郎



・本「歴史の読み解き方」磯田道史



・本「天災から日本史を読みなおす」磯田道史



・本「日本文化の歴史」尾藤正英



・本「日本海軍の戦略発想」千早正隆



■日本語
・本「日本語を動的にとらえる」小松英雄



・本「はじめてであう日本の古典 雨月物語 菊のやくそくほか」古田足日 編 市川禎男 画



・本「煩悩の文法」増補版 定延利之



・本「日本語教師のための入門言語学 ー演習と解説ー」原沢伊都夫



・マンガ「日本人の知らない日本語」蛇蔵&海野凪子



■食
・本「日本酒の科学」和田美代子(監修:高橋俊成)



・ムック「自宅で淹れる珈琲 for Beginners」晋遊舎



・マンガ「築地魚河岸三代目」1-42(完) はしもとみつお・九和かずと



・マンガ「めしにしましょう」1-5 小林銅蟲




……と、ダラダラ記録させてもらいました。
どれも「読み終えて」「記録に値する」良書だと思います。

posted by ながたさん at 23:39|

2018年09月14日

本「ラクガキ・マスター」寄藤文平






 この絵柄見たことございますでしょう、JTの「大人たばこ養成講座」の人ですね。

「落描き」と言っても絵心が無ければ……なんて思ってしまうことこそ、なにかがおかしい。子供の頃は誰もが描いていたはず。その時の感覚をもう一度再起動させて、「らくがくたのしみ」を思い出させる一冊です。
 抽象概念を振り回すのではなく「ここをこうすればいいよ」と具体的に書かれているのが何よりいい。
 置き換える、新しい人体模型、キャラクターの作り方、イメージの育て方。
 各段シンプルで見開き2pずつ、って感じなんですけどこれが、いやだからこそ、「こうですよ」って見てるだけで描けるような気になってくるこの不思議。
 初版09年で私の買ったのは16刷、売れるだけのことはあります。

 レッスンテキストではなく寄藤さんのイラスト集としてもOK。
 特にご本人も言う「人間の描き方」──締まる、ゆるむ、力む、脱力する、傾く、ねじれる、あるいはその組み合わせ──のところは「うわホントだ」と納得感も高い上に絵がコミカルで笑えます。

 全段通じて思うのは、やっぱり説得力ある絵を描こうと思ったら、ある程度構造と言いますか、「どうなってるのか」をベースに組み立てていった方がいい。
 ただし、その考え方はいくらでも深く掘っていけるので、「気持ち悪くなる」手前でUターンする。できるだけ掘らずに済むようにいつも意識する。シワを描きすぎない、筋肉を描きすぎない。
 見た目の印象と物体としてのリアルと、両方の視点から見ていまどこに居るか、を意識する。

 難しいですね(笑)
 上記は僕が勝手に言ってることです。

 ああそうそう、それはそのとおり、と膝を打ったのが、
「イメージが絵になるのではなく、絵がイメージをつくってくれる」
 これは小説なんかもそうです。
 ぼんやりした話の筋のまま書き始めると、書いてるうちになんだかくっきりしてきて走り出すんです勝手に。そうなればしめたもの。
「ええの描こうと思ったらあかん」
とよく言われますが、それはそういうことで、つまり絵というものは「描きながらよくする」ので、「ええのを描く」と思ったら、いつまで経っても描けません。それは一発書きに見える水墨画とか抽象絵画とかでもそうだと思いますよ。

posted by ながたさん at 15:57|

2018年09月08日

本「毛細血管は増やすが勝ち!」根来秀行






 きょうも健康になりたくて右往左往しています。
 毛細血管かー。

・毛細血管がだいじ
・毛細血管に関連するホルモン
・毛細血管と自律神経
・毛細血管ケア

 の4章立てで、とにかく何をすればいいのかを知りたければ4章を読めばよい。睡眠・運動・食べもの・風呂・抗ストレスの各項目でズラッと「身体にいいやり方」が並びます。
 サンマーク出版ならここの小項目一つで一冊作っちゃうぐらいみっちり情報量があるので、そういう意味ではオトクな本かもしれない。
 全部は無理でもできることからやるといいですね。

 僕がやってるので直接効きそうなのはやっぱりフィットネスバイクかなあ。いつでもできて手軽でいいですよ。おすすめ。見る間に足(特に膝から下)も細くなりますしね。

 でも結局、わたしたちは「なにが原因で不調なのか」を知りたいわけですが、答えは「全体のバランスが崩れているから」で、たぶん毛細血管がピカピカでも絶不調の人もおられましょうし、それは腸内細菌叢でも何でも同じで、「一発でこれで治す・治る」という考え方は諦めて、生活のいろんなところを身体に負担の無いように変えて、あとは日にち薬。
 身体の細胞の入れ替わりには90日は掛かるそうですから、なかなか結果は出ないものです。

 僕もアレルギー性の鼻炎持ちで、発作が始まると1日くしゃんくしゃんやってたのですが、幸い最近出てません。夏は冷房で寒暖差が冬よりも激しく、その刺激でよく出てたものですが……
 考えられる「良かった要因」はいくつかありますが、おそらくそのいくつかがそれぞれに効いてくれているのでしょう。

 40過ぎると「メンテしないと衰える」感じなので、これからもできることをちょいちょいやろうと思います。

posted by ながたさん at 10:31|

2018年09月01日

本「人生は運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」ふろむだ




 書名の「勘違いさせる力」を「錯覚資産」と名付け、これの影響が大きいよ、というところまではなるほどと頷けます。
 が、「それで決まる」と言われるとどうだろう?
 著者プロフィールを見るとIT系技術者&人気ブログ著者で、つまりお金渦巻く華々しい世界。そこではそれが「とても効く」のかもしれません。
 でも、自分の周り見回して、研究者、教師、銀行員、中小企業経営者、セールスマン、製造業エンジニア、デザイナー、音楽家、政治家……つまりちょっと古くからあるジョブだと、やっぱり普通にいわゆる「実力」が大きいです。それに比例してるとまでは言いませんが。
 もちろんまれに能力は凄いけど不遇をかこつ人、も居ますが、
 ・時間にルーズ(朝起きれない、締切を守れない)
 ・お金にルーズ(金に汚い、やりとりそのものを忘れる)
 ・幼少時から芸術家肌
 ・鬱など心身不調
 ・ただサボり
などの「現代社会で」「仕事という面で」言えば明らかにクリティカルな原因があることがほぼほぼで、納得できない不可思議ケースは、僕はちょっといま思いつかない。
 特に自分で「おれは不遇」と言い出す輩はまず普通に実力不足です。

 そういう反論を見越して
「それはハロー効果で記憶の捏造で……」
というのが中盤以降で、実は本書の汎用的な魅力はそちら、最近の認知心理学のコアなところを極めてシンプルにまとめてあって、そこはおいしいです。
 ハロー効果、少数の法則、後知恵バイアス、利用可能性ヒューリスティック、デフォルト値バイアス、認知的不協和、感情ヒューリスティック、など。文字面だけは目にしたこともあるかもしれません。
 このへんをきっちり知るなら、本書にも言及のある、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』がよろしいかと思いますが(読んだのですがまだ感想文は書いてません)、ちょっと硬いので手短に「どんなものか」だけ知りたい、なら本書が役立ちます。図版も曖昧ですがわかりやすい。



 著者テンション高く(この本を読むことで)
「あなたは、ある種の力を手に入れたのだ」
とまで言い切りますが、いやわたしむしろ著者に転職をおすすめしたい。農業とか、大工さんとか、フィジカルなものがいいんではないですかね。できれば東京を離れ地方の。ここに書かれているような世界ではない世界がそこに根付いていると思います。

 ……いやこの本自体がそういう反論を「釣る」ためのもの、1年ぐらいしたら真逆のことが書かれた本が出る、というメタなネタなのかもしれませんが、とにかく僕生きてきて思いますけど、大きく見せるのも小さく見せるのも、もちろん違う風に見せるのも、しない方がいいと思います。といっても正しく見てもらうこともまず不可能なので、まあつまり、人の目はあんまり気にしないのがいいと思いますよ。

posted by ながたさん at 12:19|

2018年08月19日

本「スタンフォード式 疲れない体」山田知生





 もう「スタンフォード」とか聞いただけで効きそう。「オーガニック」とかと同様に「スタンフォード・コーヒー」とか「スタンフォード・きな粉」とか認証してくれませんかね。

 というのは冗談で、著者元プロスキーヤーで現在同大のアスレチックトレーナー。各種カレッジスポーツで大暴れはもちろん、五輪で金メダルも取りまくる同大のメソッドを丁寧に教えてくれます。
 ……ので、実は結構上級者・本格派向けの書物で、われわれ市井の者にはちょっと高度過ぎる(笑)

 提唱されている手法はシンプルで、「横隔膜を動かして・体内圧力を高めて・ボディバランスを整える呼吸法」。これを「IAP呼吸法」といいます。
 これによって自律神経がよく動き、身体がイメージどおりにコントロールしやすくなり、結果疲れない。疲れても、こうして体内圧力を高めていると、回復が早い。
 ポイントはおなじみの「腹式呼吸」とは違うところで、おなかは常に外に張り出す感じ。いわば「腹圧呼吸」。で、横隔膜だけ上下させる。
 できます?

 これが難しい。
 意識してしばらくやるぐらいなら、できんことはないですが、これを日常つねに、はもとより、緊張と考えることいっぱいのスポーツ中に自然とできるようになるんかなぁ……
 まあ、運動能力の高い人は結構どんなことでも自然にできるようになっちゃいますから(1日10キロ走ったりね)、数ヶ月もすれば少なくとも競技中はこれで過ごせたりできるんですかね。
 この本読んで以降、盛り場に遊びに行ってちょっと歩き疲れたりしたらやってみたりしてます。効くような気もするし、深呼吸で脳がリフレッシュして意識がハッキリするだけじゃないかという気もする。
 まあそれでもいいんですけどね。

 あとは最新理論で、「動的リカバリー」はスロージョギングでいろんな本読んでると出てきました。痛みが走ってもそれほど酷くなければむしろゆーっくり動かす方が、血流や神経がそこを治そうと頑張ってくれるので有効だ、とか。
 もちろん睡眠は超大事。食事も超大事。姿勢も超大事。そして疲れないマインドセット、回復心理学。
 子供が自然に持っているマインドセットは
「自分の能力は、努力によって変化する」
という成長型マインドセットで、これがあれば
「疲れをなくせば、パフォーマンスが上がる」
という捉え方ができ、それに加えて超短期目標、
「いま、できることは何か」
を考えて実行する。
 このマインドセットと短期目標が両輪のように回ると、いつの日にか疲れない体ができている。
 なるほど。

 この本読んで感心したのがここで、つまり疲れない体、疲れてもすぐ回復できる体を手に入れようと思ったら、そうなろうと思い・実行せねばならない。
 こう言うとあたりまえのようですが、あんまり日常そんなこと考えないですよね。
「ああ疲れたなぁ、疲れ取れてくれないかなぁ」
ですよね。でもそれでは同じことの繰り返し。
「もうこんなぐったりするの嫌だ、ちょっとずつでも疲れにくい体に、疲れても回復しやすい体にしていこう」
と思って(そういうマインドセットを持って)初めて、「疲れない体」になっていく一歩が踏み出せるわけです。
 それは糖分たっぷりのお菓子とジュースを我慢することかもしれないし、カーフレイズを10回やることかもしれないし、いつもより早めにお風呂に入って早めに布団に入ることかもしれないけど。

 わが友・田中支店長に、僕がまだ独身の時に、
「結婚なんてできると思わないなぁ」
とボヤキましたところ、
「そりゃお前、しようと思ってないからだ」
と頼んでもいないのに喝破してきたことがあって、その時も「そうかなるほど」といたく膝を打ったのですが、このマインドセットを人間はなぜかいつも忘れますね。

 何かになりたければ、まず何かになろうと思う。
 あと腹圧呼吸。
 肚やgutsが大事なんですよ、どの文化でも。

posted by ながたさん at 00:00|

2018年08月10日

本「陰謀の日本中世史」呉座勇一






 ごぞんじ『応仁の乱』の呉座先生の新作だ、ってんで。
http://rakken.sblo.jp/article/181409857.html

 後白河法皇、後醍醐天皇、足利尊氏、日野富子、明智光秀、徳川家康……と、
「策を弄した結果、うまく事態が動いて利を得た」
ように後世から見える人、が陰謀論の主役になりがち(主役に仕立てられがち)です。
 でも、当時の視点に立って文献をよく当たれば、決してそうでもない。むしろ急変する事態にドタバタする姿が描かれていたりして、一枚どこかの歯車が違う動きをしていたら、この人達も被害者になっていたかもしれない。
 事実を信頼の置ける資料に当たるのみならず、陰謀論そのものがどのへんから出てきてどういう根拠なのか、まで当たって詳しく著述。
 著者も言うのですが、出所不明のテキトーな逸話に基づく陰謀論に対して反証する仕事は、
「プロからすれば何の益もない」
ことですが、でもプロがやらないと荒唐無稽な陰謀論ほどいつまでも残る。
 荒唐無稽な方がおもしろいですからねぇ。

 人は陰謀論が好きで、なぜ好きかと言えば本書にもありますが「筋道が通る」からでしょう。人間の心理は「認知が容易なものに飛びつくバイアス」が掛かっているので、
「多数のプレイヤーがそれぞれの思惑に基づいて行動した結果、複雑系になって当人たちに思いもよらない結果が出た」
という現象を理解しづらく、逆に
「スーパースターが全部計画した上でその通りになった」
という現象の方が、実現可能性は低かろうと頭では理解していても、思わず信じてしまう。
 また創作物なんかで、そういう世界観を補強するドラマがたくさん量産され続けていますからね。
 あるいはスポーツ界。大谷翔平のまっすぐなサクセスストーリーを見て「すげぇなあ」と感心するわけですが、その背後にオオタニサンになれなかった死屍累々が何百万とあるわけです。
 そうしたら、そうなる、わけではない。

 だいたい運命とはただの偶然で、あとからシナリオを編んでお話にしてるだけですが、そうはいってもシナリオを組めるぐらい一貫した行動をしていないと、その道を左右するような偶然も起きない。
 だから偶然を起こした人をスターにして、結果的に辿った道をストーリーにする方が、しっくりは来ます。

 逆に言うと、そういう「しっくり来すぎる話」を聞いたら半笑いで「そうですかぁ」と受け流すぐらいでちょうどいいのかもしれません。
 でもたまに、陰謀論じゃなくて普通に陰謀が巡らされていることもあることはあるので──たとえば日本史なら赤穂浪士討ち入り──陰謀論っぽく見えるからといって即却下すると、本当に陰謀で足元をすくわれる。
 難儀ですなー。

 ま、われわれ庶民の生活に陰謀論が直接絡むことはあんまり無いと思うので、とりあえず日本史読み物として読むならバッツグンに面白いです。『応仁の乱』よりもちょっぴりだけ柔らかめで読みやすさもアップ。呉座先生はこれからも注目。

 まったく余談ですが、先日大型書店でこの本を中心に様々な日本史陰謀論本が並べられている、というフェアが開催されており、書店員さんの茶目っ気を感じました。
 その卓でどの本が一番売れたのか、気になりますね。


 もちろん『応仁の乱』もオススメです、特に歴史好きな若人にはぜひ。研究者と呼ばれる人種の恐ろしさを見て、憧れるなり、諦めるなり。



posted by ながたさん at 00:00|

2018年08月09日

本「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」三部作 NHKスペシャル取材班 「外交・陸軍編」 「メディアと民衆・指導者編」 「果てしなき戦線拡大編」






 力作3冊ですが、どれ一冊でも読めます。
 まず「外交・陸軍編」。日本は伝統的に「外交ベタ」と言われますが何がどう下手なのか明らかになる。要はまとめて言えば「変化についていけない」ではないかと。
 外交官個々がいかに優秀でも、中央政治からの指示が的外れでは何もできません。悪評高い国際連盟脱退も、松岡全権を含む現場と中央の意識がかなり隔たってる印象です。
 これは今も続く日本のエスタブリッシュメントの悪弊で、モリカケ問題を見ての通り、過度の忖度と無言の圧力が、結果として意思決定過程が記録に残らない異様な行動を生む。
 森友ならば何億もの国費が毀損されたのは事実なのに、中央は誰も罪に問われない。「おかしなところはなにもない」ではなくて、「こんなことが起きているのにおかしなところがないことの方がよほど問題」なのです。

 こういった場合、問題のレイヤー構造を認知できないと「なにがより重要な問題か」の判断ができないと思いますが、この「レイヤー構造を把握する」という技能はどうやら生まれつきある能力ではないらしく、教育と実地の訓練で身につけなければならないようです。
 ところがこれが「官僚」という職種と極めて相性が悪い。
 官僚というのは言い方悪いですが高性能事務処理マシーンに己を鍛え上げた人々ですから、心のズームレンズでもって問題を俯瞰・鳥瞰し、「この案件……ヤバいんじゃないの?」という疑問を持つことは実質許されない。ので、書類が矛盾してたら書類を書き直す、それは彼らの習性で、ここを非難しても始まらない。
 だからそういうことが無いように、より上位の法とかルールとか、そういうので縛ってるはずなのですが、あきませんね。
 結局、カスタマーからコンプレインの来ない組織にガバナンスが発生しないのはもはやどうしようもないことで、それをになうはずのメディアが力を喪っていると、ただただ暴走するだけです。

 ということで「メディアと民衆・指導者編」。
 最近クローズアップされるようになりましたが、朝日新聞を始めとするいまもある大新聞たちがこぞって「売上のために」戦争を煽ったのが実はたいへん効いている。
 民衆がある方向を支持すれば、民衆から選ばれる政治家はその方向に走らざるを得ない。そして勇ましい(空虚な)文言が紙面を飾ってまた売れる、このスパイラルが回って、どんどん過激化する。
 PV稼ぎのためなら何でもする現在と全く同じで、それはメディアという情報流通業の本質でもあるので、ここに抑制やあまつさえ正義を求めるのはこれも不可能。
 それどころか今のアメリカのように、メディアがギリギリの理性を発揮して止めようとしても、SNSみたいな新しい分散型メディアがひとりでに「QAnon」みたいな存在を生み出して暴走する。
 どないしたらええんでしょうね。

「指導者」の方はもう日本の組織に属された方ならイヤんなるほど見てきたような風景、「非決定」が繰り広げられてイヤんなります。
 今の会社組織でも重大な案件ほど「社長でも決められない」などという表現が使われますが、それは本来おかしな話で、なんでも最終決断をするために社長がいるのであって、そうでなければ社長が居るシステムの意味がない。
「昭和天皇の戦争責任」という話になって多くの日本人が昭和天皇に同情的なのは、ただプロモーションがうまく行っただけではなくて、その構造、「動き出したら誰も止められないからな」を良く知ってるからでしょう。
 モヤモヤしたどこが最終決定場面なのかわからない、集団指導体制の悪さが、特に敗戦時に「止められない」というデメリットとして出たようです。
 サイパンが落ちたところで降伏してれば死傷者数は軍人・民間人とも史実の1割程度だったのではないか、という試算もあって、「戦争は始めるより止めるのが難しい」は古来言われることですが、それにしてもよりにもよってこんな戦争向きではないシステムを採用してる国で戦争しようと思ったな、と暗澹たる気分。

「果てしなき──」は2冊の補強的な1冊。
 戦線というのは維持せねばならず、どう考えても実力以上の広大な戦線を陸・海ともに拡大していったのは一体なぜ、という素朴な疑問に迫るのですが、これもつまり視野狭窄、よく揶揄されるところですが
「戦争してるから油を止められた、
 油が欲しいから新しい戦争をする」
という第三者から見れば発狂以外のなにものでもない物の考え方が、なぜか通る。

 3冊通して言えることですが、つまり
「戦争をもうしない」
というのは高邁な理想としてもちろん大切なのですが、その一つ前の段階として
「もしも戦争になったら、前回の轍は踏まない」
ぐらいは備えておきたいもので、
(「戦争」を「地震」に置き換えれば腑に落ちやすい)
しかしそれこそができなそうで、それがこの本を読んで、いや太平洋戦争の記録物を読んで、落ち込む原因ですね。
 学校教育でも「失敗しない」もだいじですが「失敗した時にダメージ・コントロールをする」を小さい頃から教えた方がええような気がします。
 牛乳をこぼしたら、本人は謝る前に、周りは非難する前に、雑巾を取りに走る、みたいな。そのあと謝ったり反省会をしたり。
 いやわかんないですけど。
 だから私、先のW杯で、直前でハリルホジッチを切ったのは(結果がどうあれ)良かったと思いました。最後まで「合理的に」できることはする。

 悪名高いインパール作戦も撤退を開始してからの死傷者がほとんどだったり、バシー海峡に護衛なしの輸送船を人間たっぷり載せて送り続けて沈められ続けるとか、挙句の果てには事実上の降伏勧告であるポツダム宣言を受けたのに、うじょうじょうじょうじょ時間つぶして原爆2発撃ち込まれてソ連軍に襲われたり、われわれは愚かというにも程遠い、虫のような視野と知性しかもちません。
 ですから、なにかトラブルが起きたら、ちゃんと事実を見ようとして、いっしょうけんめい考えて、がんばってそれを実行するしかない。
 もし300万の犠牲の上に得られたものが何かあるとするならそれ、謙虚さ、ではないでしょうか。
 それが失われた時にまたきっとえらいことが起きるので、そこは忘れないようにせねば。

posted by ながたさん at 00:00|

2018年08月08日

本「「超」独学法 AI時代の新しい働き方へ」野口悠紀雄






 超といえば悠紀雄、悠紀雄といえば超、
 東大工学部から大蔵省に入省した大秀才・野口先生が語る独学法。
 もう読む前から「そんなのムリw」感漂いますね。

 お若い方はご存じないかも知れませんが、国家公務員一種試験合格いわゆるキャリアは上から人気官庁に配分され、当然最強は(いつの世も)金の握り手・大蔵省(現財務省)。そこへ行く、行けるということはその学年で日本で上から10番とか20番とかって秀才であり、つまり元々持ってる能力と(勉強)実績がスペシャルすぎる。
 とは言っても方向性だけでも、考え方だけでも参考になればと思い、紐解きました。

 10章立てですがポイントは7章、
「学ぶべきことをどのように探し出すか?」
だと思います。気になった方は書店でここだけでも目を通されると良ろしかろう(営業妨害
 突き詰めて言えば独学のメリットは「必要なところだけ得られる」点で、デメリットは「必要なところがどこかわからない」点です。
 教師や教材の存在意義はそこ一点であって、逆にそこを明らかにしてくれない教師教材はよろしくない。
 過去問、重要な2割の発見、まず高いところまで、本への書き込み。
 オーソドックスですが学習慣れしてないとそれも知らないものです。学校という機関はたいていそのようには教えてくれないので。独学ではないのだから当然ですけども。

 あとは8章「英語は独学でしかマスターできない」は示唆に富む。
 仕事で要るのは専門用語、文章丸暗記、聞く練習、webにある、通勤電車で(細切れの時間でも)。
 つまり英語に限らず、なんでもだいたいそうです。
 わたしが人様に言える技能は「日本語の文章をたくさん書く」という能力しかありませんが、それも寸暇を惜しんで書き倒してクライアント(発注者)に怒られ倒して得た技能で、専門機関(学校を除く)で学んだ経験はありません。
 でも相手のある文章は相手に伝わらなければ意味がないので、利害得失のない第三者には本質的に評価できないもののはずで、ということは悪いとこ見つけて修正する、というフィードバック回路が原理的に作動せず、ということは腕は上がらない。
 ということです。
 もちろん優秀な教師や教育システムは「ツボを」「その人に合わせて」指示してくれるので、短期的にはパフォーマンスぐっと上がりますけれども、それはそれで「そこを探る」という能力は上がらない。
 と、先生ショッピングが始まる。
 まあどんな仕事でも実働30年40年なので、その間それでしのげばしのげるので、それが悪いわけでもないか。

 あとの章は「独学素晴らしいよ」エピソードが多くて、偉人や著者本人のそれらの中にも参考になる部分も無くはないのですが、とりあえず読み物としておもしろい。
 少年の頃に近所の篤志家に本を読ませてもらっていたカーネギーが、功成り名遂げたあと2500もの図書館を全米に作る話など泣けます。
 回るもんですよね、そういう気持ちというものは。

 いい先生もいいシステム(学校、塾、講座その他)もなかなか巡り会いには運が要るので、まず独学で走り始めるのもいいと思います。
 ぼんやりとでもとっかかってると、先生やシステムの良し悪しも判断できましょう。

 野口先生の本はハズレ無いんだよなあ。
 それも独学で鍛えた「キモは何か」を見つける目のおかげでしょうか。

posted by ながたさん at 00:00|

2018年08月06日

本「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」鴻上尚史




 9回特攻に行って9回帰ってきた男のおはなし。

 時代はものすごい勢いで流転するもので、「KY」という言葉が流行ったのはつい先ごろかと記憶するのですが、いまや「空気読まない」どころか「空気ってなに?」の方が強力であると多くの人が気づき、若い子が各界で大活躍したり、虐げられていた人々が声を上げたり、しています。
 たいへんいいことですね。

 ハラスメントもいじめも虐待も、以前は無かった、のではなく、隠蔽されていただけで、それが顕になる、ということは解決に向かう一歩なので、喜ばしい。もちろんご当人たちは大変ですけど。

 その極北、悪名高い強制自殺攻撃(いわゆる特攻)について鴻上尚史が「その男」佐々木友次氏を文字通りの生き字引に迫ります。

 佐々木さんは幼少の頃から飛行機が大好きで、それが高じて飛行機乗りに。爆撃機を駆って戦場を飛ぶわけですが、大戦末期に特攻の命令が来る。
「なにをアホなことを、爆撃なら何度でもできる、特攻なら一度で終わりではないか」
と極めて普通の理屈を述べ、信じ、そして実行した。
 一度ならず爆弾をボディに直付けされたりするのですが、そこは気脈の通じる整備兵が戻してくれたり、自分でなんとかしたり。
 生還を繰り返す度に上官が発狂していって、最後には「死ね」と罵倒するわけですが、それでももちろん止めない。

 この本読んで勇気づけられるのは、まず
「こういう人がちゃんと居たんだ」
という点で、自分もそうすれば、つまり信念に従えばいい。(もちろん死にたい人は死ねばよい)
 で、そしてこういうふうにすると、日本の場合は命令そのものが最初から合理性の外、なのでだいたい処罰できない。命ずる方も「おかしなことだ」と理性は理解しているので、そこ突かれると発狂して喚き散らすしか無くなる。
 終戦後復員省でバッタリこの上官に出会った佐々木さん、戦場では「殴ってやろうか」と思っていたそうですが、そのしょぼくれた姿を見て、「ああこの人もかわいそうだ」と萎えたそうです。

 ミルグラム実験(Wikipedia)が示すとおり、権威組織の中では多くの人間はカンタンに命令実行マシーンになり、それは別に戦争中だから、日本軍だから、ではありません。きょうも世界中のどこかの組織で100%おかしな命令がくだされて、くだされた方が被害を受ける、というシーンが繰り広げられています。
 その時、大事なのは、佐々木さんが示した通り、
「はぁ!?」
と声に出して絶叫して、「私ならこうする」を行動することでしょう。
 それでクビになったらクビになった方がいいですよ、死ななくていいもん。

 これは日本軍の底抜けの愚かさが描かれた作品ですが、きょう8/6は原爆が炸裂した日。いかな理由があれ実験ですでにそのハルマゲドン的威力を十二分に知っていながら、それを何十万の人々の暮らす頭上に落とす、というのはおそらく人類史上空前にして絶後にしなければならない凄まじい狂気です。それは、アメリカが悪いとかそうさせた日本が悪いとかそういうことではなく、
「人間は(一歩間違えると)そうなるものだ」
という事実を示します。
 だから今日は、それぞれの属する集団・組織で
「そのスイッチを押せ」
「死んでこい」
と言われた時に、
「はぁ!?」
と言える自分が胸に居るか確認する、居なければ育てる、そんな日にしたいものです。
 ミルグラム実験でも、何%かの人は異変を感じたら最初から命令を拒絶できるそうです。
 誰かにできるなら、(練習すれば)だいたい自分にもできる。

 僕ですか?
 昔は割と自信あったんですけど、最近「丸くなった」とお叱りを受けるので、心のトゲトゲを磨き直さねば。

posted by ながたさん at 00:00|

2018年08月01日

本「残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する」エリック・バーカー




「評論」がにぎやかになれば「評論の評論」も生まれます。
 同様に、成功法則の本が売れれば成功法則の評価本も生まれる。
 よく言われる「こうすれば」に対して、「ホンマか?」と疑問を感じた著者がコツコツ調べ上げた成果です。

 成功するにはエリートコースを目指すべき?
 いい人は成功できない?
 勝者は決して諦めず、切り替えの早い者は勝てない?
 なぜ「ネットワーキング」はうまくいかないのか
 「できる」と自信を持つのには効果がある?
 仕事バカ……それとも、ワーク・ライフ・バランス?

 気になりますね。
 ざっくり言えばどの項も「どっちも居る」ということになって、毎項バランスの取り方を苦慮しながら提示してくれているのですが、そこは正直蛇足、というか言えば言うほどわけがわからなくなる感じで、「ま、あんまこういうこと気にすんな」というまとめの方が良かったように思います。
 たとえば「セルフ・イメージを持つ」というテーマに関しても
「持つといいけど、変なのを持つと逆効果」
みたいな「いやそりゃそうだろ」な話になるので……
 ただしそこに至る実例の「おはなし」のところはおもしろい。よく知ってる話も散見しますが(ジョブズがスカリーに言い放った「この砂糖水!」のエピソードとか)、ジョー・シンプソンが奇跡の生還を果たしたある「工夫」、カンフー狂マット・ポリーの大挑戦、天才数学者ポール・エルデシュの驚異のネットワーク。

 原題『Barking Up The Wrong Tree』。
 間違った木に向かって吠える──ぼくのよくやってることですが──ことをしてても成功はおぼつかない、と懇懇と諭してくれるおせっかいな本なのですが、しかし読み進むにつれ、上に挙げたようなこの本に出てきている人たちこそ、突然、誰もが「それは間違った木だ」と思う木に吠え始めて、「木が狂っている」と思われた人たちではないでしょうか。ちゃうかな。

 世にはおもしろい人がいるものです。すごい人やお金を稼ぐ人にはなかなかなれなくても、「おもしろい人」にはなれるんとちゃうか、勇気さえあれば、とそんな楽しい勘違いを引き起こしてくれます。
 この暑い中読むと、いいかんじに力が抜けますよ。
posted by ながたさん at 15:12|

2018年05月07日

本「落語とは俺である。 立川談志唯一無二の講義録」立川談志





 談志師匠は極めて評価が高い方なのですが、僕にはたまに映像で観る高座を拝見してもどこがどう良いのかわからない。「わからない」ものはモヤモヤするものですがそうこうしてるうちにお亡くなりになる。亡くなられてしまうと「あるいは現場ではオーラみたいなものが噴出しててそれに当てられるのか」というような仮説も検証できない。

 でも幸いにしてこの本で、なんとなく、ですけど、モヤモヤがボンヤリ輪郭を持つ。

 落語とは何か。
「人間まるごとの肯定」と定義すると、救われることも多い反面、普段慣れ親しんだ「常識」をもひっくり返さねばなりません。
 というよりも、だいたい人々を苦しめる「抑圧」ってものはその「常識」の副産物みたいなものですから、抑圧の開放は常識の破壊(無視)とほとんどセットになっている。
 ですがそれをすると商業電波(円盤その他)には載せられない。
 だから多数にはリーチしない。
 でも高座ではできる。
 だからお弟子さん達は、そしてファン達は心酔もする。
「(こんな(人間の業を掘り起こして見せつけるような)芸をする人は)談志以外いねぇじゃねえか」とまで言い切れる。
 なーるほど。
 やっぱりなんでも疑問に思ったら現場行かんといけません。

 しかしそれ(因業をも肯定する)はやはり修羅の道で、それができる人とそうでない人がいます。落語に限らず芸術全般で。
 僕は、できる人のみを芸術家だとする考え方にはちょっと反対で、なぜなら常識を常識として肯定するだけでも人の心にはちゃんと浄化作用が働いて、元気にもなるし気分も晴れるから。

 できる人、というのは一歩間違えれば自分もそちら側に転落する、というエッジのところで、しかしその一歩を踏み外さないように自分を空高くから俯瞰する視点を持つ人のことで、まあ天性ですわ。あとからなろうと思ってなれるもんでもないし、そうでない人がなろうとか思うようなもんでもないでしょうし。

 どうしてもやってる者はそこにこだわりが生じて、がんばってギリギリ歩こうとかするんですけど、観てる者からするとアウトプット以外はあんまり興味ないところなので、まああまり考えすぎない方がいいですな。

 観てる者はむしろその方がよく、自分の身体が勝手に「わはは」と反応してしまうものを「おもしろい」と言っていればいい、いや言うべき、だと思います。
 この本に限らず、こういう本は読まない方がいいね。

 別の角度から「俺である。」を野暮な言語化すると、なにか物を作るということはすなわち自分が感じたことや考えたことを表すという行為で、それは「俺」以外の何物にもなりません。むしろそれ以外の何かになってる方がおかしい。
 というだけのことだと思います。聞いてる方が勝手に「談志だからまた偉そうに」と勘違いする。もちろん談志師匠はそれを折り込み済み。
posted by ながたさん at 17:27|

2018年04月29日

マンガ「よつばと!」14 あずまきよひこ



 前巻から2年5ヶ月……というと生まれたての赤ちゃんが反抗期を迎え、
「小エビと茄子の炊いた奴なんか弁当に入れんなや!」
とおかんに怒鳴り散らすほどの年月。待ちくたびれました。

 いちばんおもしろかったのは、よつばが地球を救うところ。
 あと「シェフ……」

 前巻のヒロインは小岩井母でしたが今巻は妹。出てきた瞬間からキャラ立ってるのがさすが「あずまんが大王」の生みの親です。
 しかしあの若さで東京のど真ん中に(おそらく)在住で先代とはいえ中古市価現在でも200は余裕でするミニ・コンバーチブルを所有する、となると理系で、大手(外資系)製薬会社あたりの研究員、あたりでしょうか。
 小岩井さん本人にしてからが、あのぐらいの年齢で昨今値崩れ著しい「翻訳で」親子二人とはいえ悠々と暮らしてるのを見るに、相当の腕利きです。
 謎が多い一家ですね。

 もちろん風香&しまうーのゴールデンコンビも、曲がらぬ関節を曲げ伸ばし。

 まあみんながみんな優しいのはファンタジーと言えばそれはそうなんですけども、エンタメ、もっといえば芸術の役割のひとつに
「あなたは生きていていい」
と断言する、ということがあり、少なくともその意味では「よつばと!」はストレートに傑作でござる。

 ずっと続いて欲しいですが、よつばが小学校に上がると成り立ちづらくも思え、とすると劇中あと1年ちょいぐらいか。
 まあ現実社会ではあと3W杯ぐらいは余裕でイケそうですけれども。
posted by ながたさん at 00:52|

2018年03月20日

本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」新井紀子





 話題の書です。
 衝撃的ですよ。

 著者数学者(ちなみに最初は一橋・法学部という変わり種)前半は「東ロボくん」(東大を受験して入れるAI(技術)を目指す)プロジェクトの推進役としてAI(技術)の現在地とその限界を丁寧に解説。

 AI(技術)=コンピュータができることは数学で記述できることだけであり、その数学にできることが現状「論理」「確率」「統計」だけである以上、それらで捉えきれない部分にAI(技術)は対応できない。
 したがって、シンギュラリティなんか起きるはずもない。

 という理路整然たるお言葉。
 なるほど。
 ちょっと安心したような、ちょっと夢が色褪せるような。

 ただし、AI(技術)は「意味」を理解せずとも、上記3種を操るだけなら人間より遥かに上手くやる。この武器だけで現状でも偏差値にして57前後、MARCHや関関同立の一部学部に合格できるレベルだそうです。
 ということは、それらぐらいの学力を必要とされるホワイトカラー、事務職は置き換えられる=職を失う可能性がある。

 ということは結構たいへんですよね。
 それならばもっと人間は「意味」を理解し、それに対応できるようにならないと。

 さあここからが問題だ。
 ここまでだったらこんな話題の書にならない。

 ここで「大学生数学基本調査」をしてみると、ものすごい回答がでてくる。あれ、これはひょっとして「数学」以前のところ、すなわち、まさか、「問題文が読めてない」?

 ということで全国25,000人を対象に「基礎的読解力」を測るテストを考案する。それは以下6ジャンル。「係り受け」「照応」「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定(辞書・数学)」。
 AIは前2つが得意で、まだ難しいのが同義文、まったく歯が立たないのが後ろ2つだそうです。
 問題1つ引用します、AIも得意な「係り受け」で、

---(以下引用)

次の文を読みなさい。

 Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。

この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。

 Alexandraの愛称は(   )である。

1 Alex  2 Alexander  3 男性  4 女性

---(引用以上)

 どうすか。答えは当エントリ末尾に。
 これができない。
 正答率高校生でも65%、中学生に至っては38%。
 ていねいに文字を追えばできる(はず)のこれでこの有様。このあと本編ではこれ以外のタイプの問題とその正答率が出てきます。割と真っ青になるレベルです。結果(一部)まとめると、

・中学校を卒業する段階で、約3割が(内容理解を伴わない)表層的な読解もできない。
・学力中位の高校でも、半数以上が内容理解を要する読解はできない。
・進学率100%の進学校でも、内容理解を要する読解問題の正答率は50%強程度である。

 つまり読めてない。

 これ最近の子どもたちだけじゃなくて、(幸か不幸か)教育システムそのものはさほど変わってませんから、昔から、つまり今の大人達もおそらくだいたいそうです。さらに、日本は読解力調査でOECDトップ10に入ってるそうですので、世界的にも状況は似たようなもん。

 ひゃーっ

 って感じですよね。わたし個人で言いますと、そんな読めない人に向かってどう文章書いたらええのか皆目わからへん(笑)
 いや笑い事じゃないけど。
「わざわざエンタメ文章読むような層は、ちゃんと読める層なのでは……」
とお優しいフォローをしてくださるそこのアナタ。
 調査の結果、それ相関関係無いんですって。読書の好き嫌いや量と、読解力の間には。
 ひゃーっ。
 強いてあげると相関関係あるのは経済環境だけだそうです。

 つまりそれって民主主義なんて成り立ちようがないっていうことでは……
 一応構成員全員が課題を理解してないと成立しませんよね……

 掲示板、ブログ、SNS、いやネットに限りませんが、「この人おかしなこと言わはるなあ」というシーンをたまに見かけます。これなんのことはない、思想信条とか、認知の歪みとか、そういうロジカルな話の前に、単純に「読解力が足りてない」というフィジカルな可能性がでかい。
 しかもこれ恐ろしいことに、読解力なんか無くてもそこそこの大学に通ってそこそこの企業には行ける。
(最近企業側がそれ=学歴がフィルタにならない、に気づいて「もっと使い物になる人材を育ててくれ」と大学にプレスを掛けてるそうですが)
 つまり自分に「読解力がない」ことに気づかない。
 さらに人間歳取ると柔軟性無くなってきますから、ますます自分が「読めてない」ってことに気づかず、まっとうな論理的指摘を受けると、フリーズもしくはブルースクリーン。「パヨクが!」(あるいは「ネトウヨが!」)と逆上して喚き散らして名誉毀損で裁判起こされて賠償金1000万ですわ。
 おそろしいですね。

 盲点であればあるほど突かれると人間逆上するものですが、「君、読めてないな」という(事実の)指摘ほど盲点らしい盲点、突かれると死ぬほど痛い盲点は無く、だからあんなに、新燃岳みたいに噴き上がるんですなあ。
 まさか誰しも自分に基礎的読解力がない、なんて一ミリも思わないもの。

 かつそこへ持ってきて「先生」と言われる人たち、教師・医師・学者、あとジャーナリスト、あるいは作家、つまり文章の書き手たちは(だいたい)読める人ばかりなので、「相手が読めてない」ということを想定せずに議論を進めてしまいます。ますます溝は深まるばかり。

 わたしもたまーに文章が「難しい」というご指摘を受けることがあるのですが、それはいけないいけないと思いつつもオタク特有の晦渋がついジンワリと滲み出てしまっていた、とかそういう話かな、と勝手に想像しておりました。ちゃいますね。たぶん。あれ? いや、どうかな……
 いやもちろんわたしもこのテスト受けると悲惨な結果を出すかもしれません。一応載ってる例題は全部正解したんですけど……ああこのテスト受けてみたい。

 ただ光明あるのは、新井先生はある体験例から論理能力はいくつになっても向上するのではないか、という仮説をお持ちです。(それは本編で)
 またこのテストに協力的だった埼玉県戸田市、こちらがこの結果を受けて先生方一丸となって基礎的読解力向上に取り組んだところ、いままで埼玉県内で中位だった学力テスト結果がいきなり1位を獲ったりしたそうです。
 ですから、いまダメだからといって、どうしようもないとか、手遅れとかいうわけではなさそうだ、と。

 この本はこの後半部分がショッキングなので、むしろここが広く読まれて欲しいと思います。またそれに基づいて、適切な教育メソッドが開発されて子どもたち(大人も)の基礎読解力が高まりますことを期待したい。
 うちの奥さん(は翻訳者で、AIが怖すぎてこの本を買ったのですが)が言っていたのですが
「こういう研究は出版社が支援すべきじゃない?」
 わたしもそう思います、読める人が増えれば本(読書)の楽しみを知る人が増え、本もきっともっと売れよう。

 我が家では「新井ショック」と名付けました。
「なんでこの人こんなこと言うんだ」
と理解不能な出来事が起きた時、いままではその機序、彼/彼女の中で行われている論理の流れを理解しようと無益な努力を重ねたものですが、おそらくそれは、
「読めてない」(聞けてない、わかってない)
だけのことです。
 それならば、心穏やかに清流のせせらぎのように聞き流すことができます。
 かな?

 世界の観方が変わる本こそAクラスでしょう。
 「コペ転」てヤツですわ。
 まさかまさか、おおかたの人が「読めてない」なんて思うわけじゃないじゃないですか。

 子どもたちがんばれ。君たちならまだ間に合う。

(問題の正解)
もちろん1のAlexです。
外しちゃったらとりあえずすぐこの本を買って読むべし。
posted by ながたさん at 00:06|

2018年01月13日

・本「月たった2万円のふたりごはん」奥田けい ・本「世界一美味しい煮卵の作り方」はらぺこグリズリー




『2万円──』の方は可愛いイラストでやってみようかしら気分惹起力が強い。『煮卵──』は簡便なレシピ「も」多くて参考になる。

 でもレシピ本いつも読んで思うんですけど、基本的に料理好きな人が著する書物なので、基本的に手が込んでいるんです。
 ハンバーグなんてくっそめんどくさくて作ってられるか。
 ハンバーグは4人家族だから作ろうかな、と思う料理やで。

 いまスーパーの小さな雑誌コーナーに行きますと、クックパッドのレシピをまとめただけ本がアホみたいにあるのですが、つまり簡単にできればできるに越したことはなく、クックパッドの利点として手軽な料理は人気を集めやすく、レシピ開発者がこぞってそちらの方向にチューニングをして結果として簡単なレシピが並びやすい。
(もちろんその弊害はあって、手が掛かってもいいから美味しくしたい、ようなレシピは埋没しやすい。まあその手は料理人や料理研究家が記すレシピを参考せよ、とは言えるものの)

 わたし2年とすこしごはんを作ってきて「いつか」
「しょうがなく作る(けどそこそこちゃんとした)料理」
のレシピ本を作りたいな、と思ってて、タイトルはもう決まってるんです、
『NO GINGER COOKING』
 そのこと自体がめんどくさくて一歩も進んでないんですが。

●てな今日は午前中に夫婦で散歩に出かけたので、
 スーパーで奥さんは刺身盛、僕はメンチカツ丼を買い込んで楽をしました。
 でもお味噌汁作ったりしてると洗い物の数あんまり変わらなくて、人間が生きていくっていうのは、めんどくさいもんですなあ。

posted by ながたさん at 00:00|

2018年01月07日

本「40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方」葛西紀明 本「40代から最短で速くなるマラソン上達法」本間俊之




 葛西さんの方は各単元ごとにこまごまと具体的に書いてあって、非常に参考になりました。葛西さんわたしの1つ下で、いちいちウンウンうなずきながら読みました。
「若い頃はがむしゃらに頑張ったら報われると思ってた」
 ウンウン。
 違うんだよねこれがね……
 特に印象的なのは「心的ストレスを避けろ」という点で、ストレッチでもダイエットでもなんでも、「ねばならん」が昂じすぎると心身に逆に良くないので、羽目をはずす日を設けたり、たとえばランニングでも飽きないように30分以上走らない、とか。

 どうしても「やろう」と作為をもよおすとストレスと隣り合わせなので、うまいこと「やろう」を繰り出さなくても「やってる」のように組むのがよいのかな、と思います。
 やれるようにやる、とか。
 なんとか。

 本間さんの方はエンジニアらしいセルフR&Dの過程が詳細に書かれていてたいへん興味深かったです。その時ごとに参考にした本や人、経験、アドバイスが山盛りで、「まず情報収集から」は上達の基本ですな。
 で結論としては
「フォームにしろ練習法にしろ正解は無い。ひとりひとり違うしまた変化もするので、その時々に応じて自分で開発していけ」
という極めてまっとうなもので、どんな芸でも突き詰めればそういうしかないなあ、と思いました。
 わたしも「こう書いたら絶対おもしろい」みたいな必勝法を探したのですが、ありませんねそんなもの当然。

 その試行錯誤そのものが趣味の場合は一番楽しい。
 というか楽しい試行錯誤のことを趣味という。

 でも僕はもう30分も走ったらおなかいっぱいなので(たぶん白筋の方が多い白身魚なんでしょう。カレイあたりですかね)、フルとか走りませんよ。走りません。
posted by ながたさん at 22:34|

2018年01月05日

本「UNIXという考え方」Mike Gancarz 監訳:芳尾 桂




 原題「The UNIX Philosophy」、UNIX哲学。

 わたしらの時代は幸せだったなあ、と感じる点はいくつもありますが、特に「コンピュータ」というものが人の生活に浸透していくプロセスを目の当たりにできた、これが知的におもしろかった。いやもちろん現在進行系ですけど。

 そのコンピュータと人間とのインターフェイスを司るのがOS、あまたあるOSの中でもUNIXは、いつのまにやら巨大な存在になっています。
(僕が大学生になったばかりの頃は、まだ研究機関御用達という感じでした)
 サーバ群で使われるLinuxもUNIXですし、MacOS/iOSも、Androidもまあ言えばUNIX、気がつけば組込系とスパコン、つまり上と下を除くカスタマーレベルではWindows系以外はほとんどがUNIX系になってしまいました。
 誕生70年代頭、以来ほぼ50年なぜこのOSがじわりじわりと多くの人々とマシンに受け入れられていったか、その秘密が書かれています。

 9つの定理と10のサブ定理があるのですが、乱暴にまとめて言ってしまえば
「一つのことをうまくやろう」。
プログラムはできるだけシンプルに、一つのことを確実にやってのける。それ以外の機能は別のプログラムに助けを求める。パイプやシェルスクリプトによって人間はそれらを自由に組み合わせて望む出力を得る。シンプルなプログラムは小さいのでメンテしやすいし別の機械にも移植しやすい。
 これあらゆる「道具」に当てはまりませんか。
 料理人も包丁を何本も鍋をいくつも持ちますが、そりゃ牛肉を捌く包丁とリンゴを剥く包丁は別の方がいい。
 そう考えると、UNIXの末っ子みたいなスマホも、「1アプリ1機能」みたいになってますよね。Facebookも、Facebookアプリの中でメッセージのやりとりができますが、別にFBメッセージアプリがあって、こっちの方が使いやすい。LINEなんかいくつ関連アプリがあるかわかんないぐらいです。
 いまじゃ大学生だってスマホ/タブレットで論文書いたりするそうですが、それは「お金が無い」とか「子供の頃から慣れてる」とかの他に、肥大化するPCアプリ、たとえばWordやExcelやPhotoshop、がすでに人間が反応できる領域を超えている、からかもしれません。
 というのは考え過ぎか。

 Small is beautiful.
 言うは簡単ですがそれがなかなか難しい。達成するのはまだなんとかなっても、維持するのが。
 なんとなく、みんながああだこうだ言いながら、ピンチになったら誰かが一からやり直したり、全く新しいことをやろうと思ってたけど結局それより古くからあるものをピシッと建て付け直して使ったほうが早かったり(使えるものは使え、もUNIX哲学)、すったもんだしながら様々なバリエーションを生みつついつのまにやら多勢を占めてる感じ、これ民主主義みたいです。
 逆か。民主主義強し、ということですかね。
 哲学が広く共有され、それをメンテする有志達が居れば。

 コンピュータに興味ない方でもものの考え方として汎用性あることが書いてると思います。
 おすすめ。
posted by ながたさん at 18:30|

2018年01月04日

本「羽生善治 闘う頭脳」羽生善治


 ハブさんは凄い。
 ハニュウくんも凄いけどハブさん長い間凄い。
 「永世七冠」とか意味わかんないですよね。
 どのぐらい凄いかってWikipediaの「将棋のタイトル戦結果一覧」をご覧あれ。(ハブさんは赤)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E6%88%A6%E7%B5%90%E6%9E%9C%E4%B8%80%E8%A6%A7

 真っ赤っかでしょう。
 なんですかこれは。
 89年の竜王が初タイトル、そこからこの17年の竜王まで28年間で201個のタイトルが発生してそのうち99個を奪取。
 半分。
『ドラクエ』の竜王のセリフ覚えてますか、決戦前に勇者に選択を迫るんです、
「もし わしの みかたになれば せかいの はんぶんを
 たなか にやろう。」
 羽生竜王はこうして世界の半分を残りの棋士に分け与えている。

 今年も(得意の)王位・王座を若手にポロポロと譲って久しぶりに一冠(この表現がすでにおかしい)に後退したあたりで、ニュースだけ見てる方なら「いやぁ羽生さんも年か」なーんて思われたかもしれません(いやタイトル持っとるって)、が、口さがない将棋ファンの間では、
「これは満を持して渡辺を倒すための準備ではないか」
などと囁かれたものです。タイトル戦は長く続くので、粘ってると後で始まったタイトル戦とスケジュールが被ってくるんですね。だからわざと負けてクリアーな状態で闘う、と。

 並の棋士なら「そんなアホな、大切なタイトルを」と一笑に付させれるような穿ち過ぎた見方も、「もっと大切な永世称号が掛かってる」となれば話は別。そんな穿ち方をされてること自体凄い。

「永世」の基準は各棋戦によって違うのですが、ともあれ連続5期とか通算7期とか長らくそのタイトルを保持せねばなりません。羽生さんにとって最後に残った永世タイトルが(この表現もまたおかしい)この竜王で、これ渡辺さんに過去二回、阻まれてるんですよね。
 しかも最初の2008年は3連勝後の4連敗(この言葉聞くとわたしら往年の近鉄ファンはいまだに胸がシクシクする)、これはタイトル戦では初の大逆転劇、おまけにこれに勝った渡辺が初代永世竜王、ということで因縁の相手、「倒すなら渡辺」というまさに将棋神が整えた三度目の大舞台、ここでズバッとやっちゃうところがスーパースター。
 去年はスーパールーキー藤井聡太さんの連勝が話題になりましたが、どっこいラスボス健在という感じです。

 あ、本の話ですね。
 羽生さんのイノベーティブな点は、これは若い頃よく言われたことですっかりもう当たり前になっちゃったので(真にイノベーティブなことは「あたりまえ」になるものです)もはや皆さんお忘れかもしれませんが、
「将棋はゲーム」
と言い切り、人間力とかそういう妄想の産物を排除したことです。
 女・酒・博打、遊んで遊んで強くなる。
 そんなわけないでしょう、と。
 代わりに研究・試行錯誤・実践。学んで学んで強くなる。
 これ自然。
 霧と霞の向こうに遊ぶ神様たちが、青天白日のもと闘う(頭脳)アスリートになった、みんながそう思うようになった、のはこれ羽生さんの存在が大きい。(もちろんそれは本書で羽生さんも言っているように、それ以前の棋士たちが少しずつ開けてきたドアなのですが)
 ひとの、いや社会の認識を変える個人、というのはやはり天才と言うしかあるまい。
 むしろ天才の定義をそれとしてもよい。

 対談でもインタビューでも、相手がその秘訣、「神秘」を聞き出そうとあの手この手を繰り出してくるのですが、羽生さんの答えはいつも具体的かつ身体的。容易に観念論同士が闘いそうな場面でも
「そのやり方は私には合わないので」
とサラリと身をかわす。
 おそらくここに強さがある。
 人間は「やり方」をシステム化して改良したり、応用したり、たくさん用意したり、したい。
 「よくできる」人ほど、したがる。
 それは確かに強力な武器なんですけど、相手がある場合、固定されたやり方を繰り出せば、もしそれが対策されていた場合、簡単に負ける。だから流れの中、変化の中で、その時その瞬間に応じて「やり方」を変えたりチューニングしたり、絶えずし続けなければならない。
 この「相手」とは、人間のみならず自然でも何かの物体でも研究対象でも同じ。
 だから「必殺の羽生戦法」みたいなものは存在しえないのです。羽生さんが強くあるかぎり。

 それは羽生善治だから?
 いや、凡百の我々こそそうでなければ、と思いますよ。
posted by ながたさん at 12:41|

2018年01月03日

本「ランニングする前に読む本」田中宏暁




 事の起こりは去年の春先、なんだか身体の調子が悪い。本人的には十分寝たと思って朝起きても、
「はぁ……」
とため息をついて椅子の上でぐったりするばかり。奥さんがよく見れば目の下には深いクマ、そんな時には何を語りかけても「……あぁ……ふん……」と生返事。冗談抜きで、
「……この人もう死ぬんじゃないか」
と思ったそうです。
 これが噂の男性更年期か、まさか慢性疲労症候群、はたまた鬱か。
 とにかくマズイと思い、やれることはやってみました。
 奥さんの通う鍼灸院にお邪魔して元気の出るメジャーツボを刺してもらう。家でもお灸を据えてみる。腰を温める、肩をほぐす、揉んでもらう、風呂に長く入る、タンパク質を取ろうと牛乳をガブ飲みする。サプリも飲む、健康酒も飲む。

 さして効果なし。

 そんな折ですフォーク・デュオ「カズス」の相棒、テルがカー・イベントに誘ってくれたのは。(詳細↓)
http://rakken.sblo.jp/article/180853050.html
 車中、テルが言うのです、
「走り始めた」
と。なんでも奥方が行きがかり上市民マラソン大会に出る羽目になり、それなら、と愛情を発揮して練習に付き合ってるうちにおもしろくなってきたとか。そして何より僕の心を引いた一言は、彼はそれ以前、整体の先生に掛かっていたそうですが、「走ってるおかげで整体いらず」だと。

 走るのか。

 40の声を聞いたあたりから同窓生達がレミングスのように走り始め、あたりまえのようにフルマラソンを完走したりしています。しかしメンツをよく見れば銀行員、公務員、医者、教師、そして経営者。
 つまり走りでもしないとその強いストレスから逃げられないんだ彼らは、と回し車を回っているハムスターを見るように見ていました。

 しかしあれは、回させられているのではなく回っているのであった。

 そんな会話のあと、書店へ行きますとこの本が目に飛び込んでくるのです。中を見ると、ああこの2009年の「ガッテン」の回観た観た。
「スローでいい」
というのが印象的な回でした。しかしそこでフィーチャーされていたのはお年寄りや生活習慣病の方々……ええい。
 買った・読んだ・そして・走り始めた。

 最初は近所のローソンまで数百メートルです。
 行って帰ってゼイゼイ言ってる僕を見て奥さんが大笑いしました。
 しかしやればやれるもので、毎日ちょっとずつ距離を伸ばしていきますと、駅前まで1.2キロぐらいはなんでもなく走れます。スローですしね。
 時はあたかも夏に向かうさながら、朝(といっても7時8時ですが)走って駅前マクドでアイスコーヒーなどヂューッと啜ってまた走って帰る。汗ダクダクで、ほどよく冷めた昨日の風呂に飛び込む。
 これがきもちいい。
 そんな毎日を繰り返していますと、まあテキメンです。
 元気、帰ってきました。
 ほんとすぐ。
 1週間とか10日。
 あの目のクマはどこかへ去り、食欲も湧き活発になる。
 メカニズムとしては、ほどよく疲れるのでよく寝れるんです。で、そういういい睡眠をしたあと気づくんです、ああ僕睡眠不足だった、と。
 もちろん、深い呼吸をすることによって・汗を掻くことによって・身体のいろんな筋肉を動かしたり動かされたりすることによって・血行がよくなり新陳代謝が活発になり、積極性が戻ってきます。
 すっかりマイ・ブームになって、夏のコミケの時など旅先にちゃんとトレパンと帽子を持って行き、前日旧友と呑んだくれたにも関わらず5時半に起きてスーパーホテル品川新馬場を飛び出して2キロぐらい商店街を駆け抜けました。
 あそこ朝も大風呂やってるのでもちろん飛び込む。
 最高。
 このままビール飲んで大阪帰ろかと思うぐらい。
 もちろん腹いっぱい朝食取って元気満タンでいままでにないぐらい快調なコミケでした。体調はね。

 以降、秋口に長雨があってちょっとサボったりもしましたが、チンタラ走り続けています。僕の劇的な効果を見て奥さんも走りはじめて、一緒に公園一周3キロを走ったりもします。

 この本の良さは一言で言えば、
「スロー『が』いい」
と理屈建てて説得してくれるところ。
 有酸素運動を司る回路が回るぐらいのスピードで走らないと、その能力は上がらないそうなんです。つまり速くキツく走っちゃうと、筋肉や心肺能力は上がるかもしれませんが、肝心の酸素を全身に送って活用させる能力はそれほど上がらない。
 で、スプリンターや何かのスポーツの能力を高めるために走ってる、のではない人、つまりほとんどの人にとっては、その「酸素活用能力」の方が、日常を楽にしてくれる、体力を上げてくれる、という意味で大切なのです。

 同窓会で「キロ10分」などというと本格ランナーたちに爆笑されるのですが、これからもそのぐらいで走りますよわたしゃ(笑)

 若い時、25ぐらいをピークに身体能力は落ちていくと思いますが、その頃これを知りたかった気もしますし、いやむしろ45だからたった数日でテキメンに効果が出てこうして続けられているのかもしれず、まあとにかく老いにも若きにも、もちろん男女とわず、それからインドア派の方にこそ、スロー・ジョギングをおすすめしたい。
 言うまでもありませんが、僕も奥さんも根っからの120%インドア派文化系クラブ育ち、走るなんて1mだって御免こうむる、という人間でした。それがトレーニングウェアに身を包んでこのクソ寒い中二人で飛び出していくんですからあーた。
 そのぐらい、効果があります。

 昔の人は生きていく、生活をしているだけで現代人の何倍も身体を動かしていて、それが何万年も続いてたわけですから、おそらく私たちは慢性の運動不足で、ちょっとムリクリでも身体動かさないと不調に陥るような気がします。
 ご存知かもしれませんが、クルマも完全に動かさないよりたまに乗って走り回る方がむしろ、調子を落とさず「走る」という機能を維持し続けます。クルマぐらい簡単なものでさえそうですから、人間なら、もっと。
 もちろんそれには水泳でも太極拳でもフットサルでも縄跳びでもなんでもいいと思うのですが、「走る」は靴履けばいますぐ始められるのが魅力。道具不要、相方不要、技術知識不要、時間いつでも。
 いま・ナウ・いつもの服にいつもの靴で大丈夫、財布と携帯だけポッケに突っ込んで、500mぐらい先のコンビニまで、ハーゲンダッツを買いに行ってみましょう。
 走って。
 行って帰ってゼイゼイ言って、しばらくするとでも、なんとなくちょっと元気になった気がしますよ。
 ボーン・トゥ・ラン。
posted by ながたさん at 22:53|

2017年11月05日

本「できる100ワザ WordPress」インプレス




 僕には難しすぎました。

 ワードプレス、てのはCMS、コンテンツ・マネージメント・システムの略で……まあとにかくホームページとかブログとかを作れるシステムです。
 文章や絵、音などの素材をデータベースで持って、それをどう表現するかは別に持つ。これがテーマといいまして、つまりテーマを変えると同じ中身でも見せ方をガラッと変えられる。
 ホームページにしろブログにしろ今は無料で見栄えもいいサービスがいろいろあるので、じゃなんでそんな面倒なものいちいち触るか、っていうとつまり広告を貼りたいのです。
 GoogleAdSenseを筆頭に最近個人のブログでもよく広告バナー出ますでしょう、あれってクリックだけでお金が貰えたり、もちろんリンク先から何か買ったらそのサイトの作者にいくばくか紹介料が入ったりするのです。アクセスが多かったり購買行動と親和性の高い内容のwebだったりすると、月数十万円の収入になることも!
(ホームページやブログで無料のサービスっていうのは要は主催側が勝手にそういう広告を貼って、その分を間でインターセプトして運営費用や利益にしているわけですな)

 ということで夢を抱いて挑戦してみたのですが、ま、とにかくその、めんどくさい。
 webサイト作るとするでしょ、だいたいみなさん内容に凝りたい頑張りたい、でも見栄えまでよくするのは大変だからなにかテンプレートみたいなのでそこそこカッコよくしてくれたら……というような感じですよね。
 この「そこそこの見栄えの」っていうだけでもうたいへん。
 上述のテーマっていうのが世界中に山のようにあるわけですが、実はテーマそのものもカスタマイズしようとするとhtmlやらPHPやらなんやらの知識が必要で、それをググったり作者のサイトを漁ったりして詰めていかねばならず、途中で何やってるのかわかんなくなります。
 テーマのことも調べないといけないし、
 WordPressの面倒(アップデートとか)も見ないといけないし、
 便利なプラグインの面倒も……
 ハー!

 一応メリットとしてはそれ以外にもレスポンシブ、つまり端末(の画面やUI)に応じたページを自動的に生成してくれる、というのもあります。
 内容のデータだけ流し込めばスマホ版とパソコン版を勝手に作ってくれる、と。
 確かにありがたいし見栄えもいいんですが、これもこだわりだすと、やっぱりまるまる2つのサイト作り上げるのと同じ手間がかかります。あたりまえですよね。

 おっちゃんがはじめて「ほーむぺーじ」作った時には、プロバイダに「ここやで」と言われたフォルダにindex.htmlのテキストファイルをFFFTPかなんかでポイと置くだけで「Hello, world.」とですね……
 感動したもんさ。
 こ、これで世界中の人がここにアクセスできるのか、と。

 そういうことが複雑になった代わりに豊かな表現力を得た、ってだけなんですが、まあそれにしてもテキストファイルにhtmlタグ直打ちでなんとかなってて、blogを除けば年に1回(新作のPDF化)ファイル載せるか載せないか程度の更新頻度のマイ・サイトでは、めんどくささ>利益、でした。
 ということで諦めて以前の(さくらインターネットさんが会員に無料で提供している)blogに戻る。もちろんホームページは手作りで。
 きっとジャムとかスコーンとかと一緒で、webサイトもそのうち「てづくり」に付加価値つくようになるわ。
 まあ昨今、名刺がわりならwebサイトなど持たなくてもFacebook、twitter、Pixivなどで作品や活動を垂れ流していればいいですしね。

 上記の本は参考資料。web情報観ながらポチポチ組んでもなんとかなったんですが、やっぱりまだ紙の一覧性やあとから引きやすさに弱い世代です。
posted by ながたさん at 00:00|

2017年10月31日

本「読んでいない本について堂々と語る方法」ピエール・バイヤール




 タイトルからして挑発的ですが、もちろんただのジョーク本や逆張り炎上商法本だったら、天下のちくま学芸に入りません。結論としては、
「すべての本は媒介物にすぎず、
 それをキッカケとして内なる自分を語るのだ」
 素晴らしい。
 ウィトゲンシュタイン曰く
「語りえぬものについては沈黙せねばならない」
 孔子曰く
「怪力乱神を語らず」
 ではそれを誰が語るのか。
 それは貴方だ。

 まず
「『本を読んだ』ってどういう状態を指すの?」
というところから洗い直し、
「どういう状況で『語る』の?」
と「本を語る」ことの意味を確認し、最後に
「どう語ればいいか」
を導き出す。
 具体的な有名作家や作品の例を豊富に引きつつ丁寧に積み上げていくのですが、ちゃんと「読んでない本を語る」形になっているところがメタ的でおもしろい。
 よく見れば、作者が誇張気味にこってり「そういう人」を演じているのですが。フランス人らしい斜め目線というかヒネリ具合というか。

 そうつまり、いままさに僕はこの本について語っているわけですが、僕の読んだ「この本」は、いまこれをお読みの貴方が読む(読んだ)「この本」とは別のものなのです。自分の解釈能力以上の読み方はできませんし、その本から何を汲み取るか、その本に何を触発されるか、は人それぞれ違うから。
 それを社会全体に拡張すると、「この本」には社会がだいたいコンセンサスとして思っている「こういう本」というイメージがあるわけですが、それは脆く、また変化しやすく、またし続ける。その教養空間全体に置ける位置づけも刻一刻変わっていく。
 だもので、本を読む時にだいじなのは、中身もさることながら、その本とその読書体験そのものを、自分と社会(生活)との中でどう位置づけていくか、そこにある。

 言われてみれば確かに無意識で私たちは既にそうしています。
 バカ正直に書いてあることを鵜呑みにするのみならず、自分の都合のいいように解釈したり記憶したり、またアレンジしたりして人に伝えたり嘯いたりしている。
(もちろんこの文章もそう)
 内容が難しい本や解釈に自由度のある文学でなくても、たとえばライトノベルだって、主人公を自分に置き換えて妄想して楽しんで、それを二次創作同人誌に仕立て上げたりもしましょう?
 あらゆる作品は(単なる)触媒であり、創作とは自らが自らの内から引っ張り出す行為それそのものである。

 知らずに自然とやってたことをこう明確に言語化されると、
「わあこの人頭いいな!」
と感心しちゃいますね。

 もし良い作品そうでない作品という区別があるとするなら、触媒としての性能の良し悪しを指すかもしれません。
 だから作家自身にとって良い作品そうでない作品の区別は原理的にはつきません。作家にとって(納得の有無は別にして)「創作した」という事実はどの作品に置いても同じなので。

 バルザック、漱石、ワイルドといった押しも押されぬエース級が口を揃えて「本なんか読まんでええ」と作品中で語り語らせているのを知り、いったん驚いて、いま上で書いたようなことを考えて、なるほどな、と頷きました。
 作家が誠実であればあるほど、己のそれも含めた「本」というものはキッカケに過ぎない、ということをこそ、つまりそれをキッカケにしてどうぞ貴方の想像を羽ばたかせて、と訴えたくなる、はずです。
 でもそういう作家の作品こそリアリティがあり真に迫り結果読者がのめり込み、読者自身の想像力=創造力を停止させてしまう、というこの矛盾。

 フローベルが『ボヴァリー夫人』を書く時に「なんでもないものを書く」と豪語したそうで、それは北杜夫先生『どくとるマンボウ』のあとがき、「どうでもいいものしか書かない」に通ずるなあ、と思い出しました。あるいは北先生はインテリサラブレッドだからそのぐらいのことはご存知だったのかも。

 どんなジャンルでも作為の見えるものは二流品ですが、そりゃそうで、上の原理に忠実であれば、内から湧いてくるものを表に現す、以外の意図や行為が混ざっていればそれは邪魔物、写さなくて良いセンサーにへばりついたゴミに過ぎません。むしろそれを丁寧に取り除く力とセンスと根気、このありなしが作家の力量。

 おもしろいです。
 読書家にこそ頭の整理におすすめ。
 あんまり本読まない方は別にいいです、普段あなたがやってることが言語化されてるだけなので。
posted by ながたさん at 21:33|

2017年10月27日

本「応仁の乱」呉座勇一




 WW1との類似が最近よく言われますが、なるほど
・誰もやりたくなかったし早く止めたかったけどダラダラやっちゃった
その割に(それだからこそ)
・影響が巨大
という面でよく似てます。
 学校の日本史の時間では、将軍家の跡目問題(弟vs子)に山名宗全と細川勝元が肩入れして……と習ったわけですが(いまは少し違うんですかね)それは起きた事実を「わかりやすくなる形」に持っていくとそうなる、というだけで、ことはそう簡単ではない。
 その「権力争い」というわかりやすい動機が実は無い。

 なにかトラブルが起きた時に、以前あの人の時出ていって加勢したから、この人の時に行かんわけにいかんなあ……と大物が出ると、それが逆側か見れば「誰それまで出てきた!」という大事になる。「ウチの大将を呼べ!」みたいな。実は大将同士は別に仲が悪いわけでもない。といって、二人共「立場」があるので、二人で握手すれば話が終わるってもんでもない。トラブルが長引くと構成員たちの利害が複雑に絡み合って、もう止まらない。最初の目的と違うところで違う相手と勝手に争い出す。
 人間社会によくある風景です。

 で、この騒乱のために、領国を守るためには現地に張り付く必要があって、一旦戦さに参加するために京にのぼった大名たちが、その文化ごと領国へ帰って、でその縮小コピーみたいなのをいっぱい作る。この時期の遺構が発掘されるとおもしろいように当時みなが集った管領家のお屋敷そっくりだそうです。
 この接ぎ木を祖として各地方に文化が独自の花開く。
「「応仁の乱」の前後で日本の姿はくっきり変わった」
という認識がいまでは定説と言っていいそうですが、なるほど今の言葉で言いますと「地方自治」と言いますか、もっと大きく言えば民主主義、
「おらがことはおらで決める」
が否応なしに成立した画期だったのか、と思いました。

 主体性の無い争い事の方が傷跡が大きいですね。
 太平洋戦争の日本とかもそう。
 止めらんない、から国が滅ぶ。

 研究者らしく微に入り細を穿つ丁寧すぎる仕事、それによってちょっと読みづらい、のですが、ともかく、いやだからこそ、「偶然がいくつも重なり合って」という歴史の醍醐味を嫌というほど味わえる本です。
 歴史好きを自認されるならお読みになるとよろしかろう。
posted by ながたさん at 00:00|

2017年10月19日

本「だめだし日本語論」橋本治 橋爪大三郎




 知らないこといっぱい書いてあっておもしろかったです。
 橋本先生は凄いなあ。

 でも終盤、思わぬところで日本における(近代の)相克を目の当たりにします。

 橋本さんは作家・評論家、橋爪さんは学者(社会学)。橋本さんは使う者として内側から見る、橋爪さんは研究対象として突き放して見る、という違う視点が交錯するところがおもしろい本(対談)です。
 突き詰めて言ってしまえば、使う方としてはぐちゃぐちゃしてる方がおもしろいし、自由度が高くて遊びやすい。研究する方としてはモデル化しにくいのでイライラする。

 たとえば、漢字の熟語としてパッケージされてしまうと、本質を理解していなくても使うことはできる。「自由」とか「民主主義」とか、「愛」とかもそうですね。これ表音文字並べるタイプの言語だ(おそらく漢字導入前のことばだと)といったい何かさっぱりわからないので使う方も躊躇する。しかしその「使うことが(は)できる」というのが、わけもわからずそれを振り回すというおかしなことにつながっているのではないか……
 ことばに限らず概念そのものとしても、つまり中国やオランダや西洋から入ってきたものをですね、ロクに理解もせず肚にも落ちてないくせにPDCAサイクルを回すわけです日本人はね。
 おかしいやないか、と学者は言う。
 しかしそのおかげで今があるのだし、それはそういうものだとして受け入れるしかなかろう、その上でその利益/おもしろさを享受すればよいと作家は言う。

 表(公式)と裏(ホンネ)の二重構造がそこいら中にあって見通しが立ちにくいのが日本の社会の特質であって、それは普段はむしろいろいろ物事が円滑に回る長所なのですが、たまに裏側が腐っててある日突然崩れる。表はきれいなので問題は無いことになっているから、みんなビックリするわけですが、実は以前からグズグズやってた、と後で知る。
 というのが、公式文書(漢文)と非公式文書(ひらがな/仮名漢字混じり)の頃からすでに始まってて、そういう社会だからそういう言葉の構造を受け入れやすかったのか、逆に、そういう言葉の構造を取ってしまったが故に社会がそうなってしまったのか、因果はわかりませんが、まるで写し絵になっている。
 権威と権力を分離する天皇制というシステムが延々続いてるわけですから、元々そういう社会だったのかもしれませんねえ。

「あーもーイライラする!」
と頭を掻き毟る橋爪さん自身、朝鮮王朝のハングル導入については「大失敗」と断じており、曖昧さとそれに起因する効率の悪さは、多様性・寛容さ・楽しさとトレードオフです。そういう「ゆるい」社会は油断できず、安全を突き詰めることもできず、だいたい不便で、不快なこともより多く発生するわけですが、まあそれでも、そっちの方が「まだマシ」なんじゃないかなあ、と、日本語がぜんぜん聞こえてこない木曜夜の心斎橋筋を、小5からの友人と歩くこの本を読んだ次の日の夜です。

posted by ながたさん at 00:00|

2017年10月17日

本「中央銀行は持ちこたえられるか ─忍び寄る「経済敗戦」の足音」河村小百合




 久しぶりにビデオニュースを観たら、
http://www.videonews.com/marugeki-talk/862/
この河村先生の解説が腑に落ちたので御本も買って読む。てなことがKindleで即できるのもいい時代です。

 現下、日銀が国債を買いまくってて(「アベノミクス」とは端的にはこの行為を指す)経済通の意見は真っ二つに分かれています。
 賛同する方は
「とにかく日本経済にはマネーの供給が足りないのだから、(市中にある国債を日銀が買いあげることで現金を供給するというカタチで)それさえブチ込めばなんとかなる」
と言う。
 反対する方は
「それは実質的には政府債務を中央銀行が肩代わりする『財政ファイナンス』という幾多の地獄を生み出した禁じ手であり(事実法律で禁じられている)、そんなことをやらかしたら後で困るのは火を見るより明らか」
と言う。
 この、
 財政ファイナンス→
 財政規律の緩み→
 紙幣増発→
 円の価値・信用低下→(国債価格の暴落/金利上昇)
 ハイパーインフレ
の流れはなんとなくわかるのですが、現下ではいくら国債を買い込みに買い込んでも上がるはずのインフレ率はいつまでも上がらず、いつの間にか「2%」の目標すらあやふやになりそうな勢いです。
 つまり幸か不幸か「効果がない」ってことは、(まだ)リスクも小さいってことでは?

 違うらしいんですよこれが。
 すごいマズイ。

 どこがマズイかというと、この作戦によって日銀のバランスシートが膨れ上がっています。主に左(資産)の所有国債と右(負債)の当座預金(各金融期間が余ったお金をとりあえず日銀に預けている数字)が膨れ上がる。
 でこの左の国債の金利はべったり低い。ところが右の当座預金は、このような金余りマイナスを含む超低金利が永遠に続くとは考えにくく、いつかは上がっていく。ここで当座預金に(日銀が)利子を付ける分が、国債の利子が(日銀に)手に入る分、よりも大きくなると、つまり日銀が損をする。
 この数字が、たとえば2%ぐらいという十分あり得る数字が付いただけで、年間で7兆ほどマイナスが出る。
 お金を刷ってるはずの中央銀行が債務超過になる、という事態は普通考えられないので、マイナスになった時どうするかって決まってもいないらしいですが、たぶん政府が補填するしかない。
 ただでさえお金ないお金ない言うてるのにですね、ちょっと前の政策の尻拭いに、かなり莫大なお金を突っ込まなければならなくなる。しかもかなり長期間。
 これは辛い。
 要するに先食いをやってるんですよ。お金の。
 財政ファイナンスのもう一つの問題点は、必要/実質以上の高値で国債を買い取りまくることで、売る/借り換える時に大きなコストが遅延発生し、しかもそれが長期間続く、という点だったんです。
 しかもこうなるとお金が無いので身動きが取れなくなって、日銀本来の役割、「通貨の安定」を果たすことが困難になる。

 これはメカニックな事象なので、ハイパーインフレみたいに「ある日突然破綻する可能性が上がる」というような話ではなく、金利が上がり始めたらすぐに直撃する話です。
 だから出口戦略がとても重要で、欧州ECBも米FRBもこの手の金融緩和をやる時には常にいつ終わらせるかをにらみながら、かつその手順や方策を十分に吟味、そしてそれを議会で証言などして人々にも知らしめる努力をしている。
 ところが我らが黒田総裁・安倍首相はこの手の質問に対して「いや出口戦略を語ってしまうと市場心理に影響するから」とかなんとか言って誤魔化すばかり。
 実際は何も考えてないんじゃないの?
 それが証拠に今回の選挙ではアベノミクスともなんとも言わない。さすがに怖くなってきたんじゃないか、とも河村先生はおっしゃる。

 ハイパーインフレ恐怖の方だけだと、私も「そうはいっても世界中で金利が0%近傍に張り付く世界史的異常事態ではあるので(経済や財政が好調なドイツでも同じなので、日本だけの問題ではない)、今までにない動きをするかもしれない……」なんて思ってたのですが、物理的にこうなったらこう帰結する、という地味ながら痛いコストがハッキリして目から鱗でした。

 ちなみにハイパーインフレに直面した終戦直後の日本では、1回限りとは言え財産税(預金から不動産まで一律でかっぱぐ)を掛け、預金封鎖をし円切り替えを行い、強引に掻き集めたお金でなんとか国債を返し切ったそうです。それは終戦直後のドサクサかつGHQの威光を背景にした荒業で、どう考えてもいまできることではなく、もっと地味ながらもっと痛い財政緊縮が続くんでしょうな。それも、東電が潰されずに国民全員の電気代にそのツケを回したように、我々地下の者だけが苦労するようにうまいこと工夫してくれるのでしょう。

 これどうするんでしょうね本当にね。
 あと高値づかみした株あるでしょう日本株。あれもどうするんでしょうね。神戸製鋼の株とか。

 21世紀に入ってから特に2010年代の日本は、やらんでええことばかり一生懸命にやって、時間・お金・人材を浪費し続けている気がします。「やるべきことをやれ」などと偉そうなことは申しませぬ、「なにもしない」という選択肢もあるんではないですかね。
posted by ながたさん at 00:00|

2017年10月16日

本「10倍速く書ける超スピード文章術」上阪徹




 主には「「素材」(独自の事実・エピソード・数字)を集めてそれを(うまいこと)並べりゃいいんだ」という作戦です。
 確かにそうかな、と一瞬思うんですが、でもよく考えると、人間が何か文章を書かざるを得ない時って、「書かねばならないこと」が既にあるはずで(もちろんその裏返しとして「書かなくていいこと」もある)、それをどう書こうか悩むから時間が手間が掛かる……わけですよね。
 たとえば研究論文とか。
 素材は揃ってるけどどうやったら一番巧く伝わるのかな?という点が悩ましいのではないですかね。
 なんかズレてますかね僕の感想。

 僕も昔はそこそこ速い方だったんですけど、
「速く書ける方法」
をツラツラ考えてほぼ唯一の手法は、
「書きやすいことを書きやすいように書く」
てことです。
 そりゃあたりまえだろう。
 この項自体がその実証で、上のパラグラフで本文に沿った感想文を書き始めて行き詰まったので、次のパラで自分の体験にシフトした。これならいくらでも語れる。
 どう?

 村上春樹先生の読書感想文の秘訣というのが、
「最初それっぽいことを書いたら、あとぜんぜん関係ない話を書く」
だそうで、これも似たような作戦かもしれません。

 そこから導き出されることで、この本にあるような
「ターゲット読者を決める」とか「本当に伝えたいことを理解する」、つまり、
「人に読んでもらおう」
と考えると、これが非常にしんどい。
 しんどいことは止めてしまうのが吉で、オレ・ノートに俺ツエー・ハーレム異世界小説を書き留めるように、好きなことを好きなだけ、書きやすいことを書けるだけ、書いて、あとは利害関係者にダメ出ししてもらって微調整するのがいいのではないか、と思います。
 プロじゃなきゃね。
 いみじくも本編にもありますが、結婚式のスピーチでだいたい泣かせるのは親戚のおじさんやおばさんの本当に心のこもった訥々とした挨拶であり、その前では多少巧いことやってのけようがカスみたいなもんス。いや、巧い分イヤラシイ。
 むしろ読者ポカーンと置いてけぼりでも、なんかこの人はこのことが言いたいんだな、とハートが伝わる方がいいのではないか、と思います。

 ああそうここまで書いてちょっとわかった、この本「速く書く」がテーマなのに最終的に「巧く書く」になっちゃってるんですよ。
 この両者は反比例しがち。
「よりよく伝えよう」と思った瞬間に時間が掛かりがちなので、(なんらかの事情で)「速く書きたい」なら「ついてこれないのは読み手が悪い」ぐらいの飛ばし方でいいんじゃないかな、と経験上思います。

 まあつまるところ、よほどの事情がないかぎり、「速く書こう」とか思わんでええですよ。
posted by ながたさん at 23:21|

2017年10月12日

本「日本語の源流を求めて」大野晋




 風の噂には聞いてましたがおもしろいですねこの本。
 言語の比較と文化の比較から、南インドのタミル語と日本語との関係を探る、碩学・大野晋の集大成(のダイジェスト版)。
 冒頭の恩師・橋本進吉先生との回想が泣ける。昔の人は本当に勉強を学問をしたんだな、というのを痛感、もう「ああやっとけばよかった」なんて言葉も恥ずかしすぎて口にできない。まだ間に合う若人たちにはぜひこの冒頭だけでも読んで背筋を伸ばされるのがそれからの人生に極めてよろしかろう。

 音素の分解比較の方は、ぼくまるっきり見識もありませんし「そういうものなのかな」で進むのですが、楽しいのはやっぱり文化の方。水田稲作・機織・鉄という基本要素がよく似ていることに始まり、妻問婚(母系相続)、小正月のカラス勧請にとんど焼き、そして墓、そこに刻まれた文様。
 もしも南タミルから真珠を交易に来ていたのなら、いったいどんな生活や取引や交流があったんでしょう。いまデンマークの皇太子ご夫妻が来られてて我らが皇太子ご夫妻と旧交を温めておられるのですが、そういうほのぼのしたものだったんでしょうか。それとも、現代の商社マンと現地生産者みたいなビジネスライクなものだったんでしょうか。文化が根づいて・残るってことは比較的友好的なものだったんではないかと想像します。いやまあ我々も原爆落とした国の音楽聞いて食べ物食べて作業服着てるので、そこは関係ないかもしれませんが。

 古代ロマンてのは「わからないからいい」ってところもあって、その方が想像し放題。向こうから来たスーパースター・ラジニカーントみたいな濃ゆい男前(『ムトゥ 踊るマハラジャ』はタミル語映画だそうです)に一目惚れした大和撫子(さて弥生系シュッとした美女なのか縄文系くりくり可愛い系なのか)が帰郷しようとせん彼について行くの行かないので大騒ぎ……
 ええですな。
 先日サッカーの代表戦で来てくれたハイチ代表のエリボー君、お母さんが日本人で吹田生まれボストン育ち「めっちゃ」が口癖、という見た目もライフヒストリーももう「どこの人」とか分類できんわけですが、国境も無かった頃にはそういう人たちがいっぱい居たんでしょうねえ。
 いいですねえ。

 私たちは学者ではないので、この説が本当(事実)かどうかには実はあまり興味がなく、それよりもこうしていろんな夢を見られることの方が重要です。こういう、人の想像力や創造力を引っ張り出す仮説こそ優れた仮説と言えますまいか。
 それを打ち破るにはディテールの揚げ足を取るのではなく、さらに夢満載の魅力的仮説を提唱することで行っていただきたい。(もちろん身も蓋もない証拠が突きつけられればしょうがないですが)

 おもしろい、ってことはとてもだいじなことですよ。
 大野先生のごとく、88になってもその気持ちを持ってられるかなあ?
posted by ながたさん at 21:57|

2017年10月11日

本「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ




 NHKの「カズオ・イシグロ 文学白熱教室」の本放送を観て
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=11917
「あっこの人はおもしろい人だ」と思って買って2年ほど積ん読。慌てて読んだ。
 祝ノーベル賞ー。

 まず書き手の端くれ視点で言うと本当に巧い。
 本当の巧さというのはどんなジャンルの技芸でも「なんでもないように見える」ものです。大ネタ1つであとは標準的なユニットを普通に使ってるけど、ドーンと来る。これが凄い。
 料理でいうとジェノベーゼで、めっちゃ美味いんだけどなんだこれはと。厨房覗くとディチェコの乾麺とボスコのオイルだ。なぜだこれは。
 どうやって作るんだ?
 いや違う、作り方はわかってる、なぜ俺に作れない?
 これがまず怖い。
 凄い素材使ってる、とか超絶技巧が凝らされてる、方がよほどマシ。諦めがつきますからね。

 大ネタのネタバレが1/3時点、というのも憎い。
 そこまでは「ああなにこれなにこれ」と思いながら読み、そのあとは「あああそっちいったらあかんそっちいったらあかん」と思いながら読む。一ネタで二度美味しい。
『こころ』とか『この世界の片隅に』とかもそうですね。前か後ろの1/3ぐらいのところでガシャッと世界が変わる。

 その大ネタも原版発表が2005年ですから、もはや手垢がついたというかむしろ現実が追い越してしまってる古いネタです。そこを逆手に取って堂々と「もしそういう世界だったら?」と訴えることで、さらに逆に「倫理」的な問題に対して普遍的な問いになっている。
 こうはならなかった現実はしかし、またいつでもこうなりうる。
 それが怖い。
 いや、いま動物たとえば牛や馬、犬や猫に同じことをしてないか?
 なにが違うんだ?

 SFやファンタジーは舞台が日常とは大きく変わっているけど、人間とその考え方はだいたい現代と同じ、という風に組み立てるものです。しかしこれは逆、舞台は寄宿舎の日常でありながら、人間の考え方そのものが変わっている。
 死生観というおおもとの部分を改変されてしまうと、人間が人間でないように見えてくる。
 これも怖い。
 ぜんぶ「死ぬ」ではなく「使命を果たす」って言うんですよ。
 怖いでしょう?
 クルマで1時間以上掛けて荒れた湿地へ小さな難破船見に行くんですよ。それがレクリエーション、お楽しみ。隠喩抜きにしても嫌でしょう? でもリアリティあるんですよ本編では。

 エリス先生、「昔、名を馳せた老婆」ってのは本当に怖い、というのは現在の日本でもよく見る風景ですが、いや本当に怖い。マダムの方がよほど人間としてわかりやすい。

 いま振り返ってみても特別なことは何もしてないのですが、全体として特別なものになっている。これぞ小説。
「文学とは」という問いに、いま仮に「『人はなぜ生きるか』を問うもの」と答えるなら、この作品はまっすぐに問うてます。人ではない人、人ではない人にされている人でしかありえない人、の語りを借りて。
 ここもたぶんにメタ的というか、表現難しいんですけど、変化球のようでストレートずどん、という感じ。
 逃げられないんですよね。ハムレットが「to be, or not to be」と呟く時にしかし僕らは他人事、なわけですが、これはそういう「これはこの人の話」という意識の逃げを許さない。なぜというならキャシーはわたし自身だから、です。
 こんなに境遇がかけ離れている人物を、まるで自分(読者)のように、自分でしかありえないように思わせる、そのように描く、これが凄い。そして怖い。

 お若い方に「『小説』とやらを読みたいのですが、一冊読むとするなら」と尋ねられたら、いままでだったら僕は「『こころ』」と答えてましたが、こっちにするかもしれない。読みやすい上に普遍的だから。

 読み終えたあと「ああ、生きててよかった」と思える本は、いい本です。
posted by ながたさん at 04:26|

2017年10月10日

本「もうレシピ本はいらない」稲垣えみ子




 まずツッコミどころからいきますか、とりあえず
「まあ、お一人やったらねえ……」
 ウチの奥さんも結婚前はひとり暮らしあるいは実家で料理してたんですけど、「僕の分まで作らないと」と思ったらこれがしんどい。
 またウチの母も僕の分作らなくて良くなったので腕の振るい甲斐が無くなって寂しいのかなと思いきや「何も考えなくて良くなったので楽」とこうおっしゃる。
 僕自身もちょっと疲れてたりする時には、自分ひとりなら袋麺を茹でて啜って終わり、のところ、待ってる人が居ると思うとせめておかず一品でも、と思ってしまいます。(もちろんホンマにしんどい時は「なんか食っといてー」と言って寝ますが)

 つまりその、ひとりだったらなんとでもなる。
 レシピなどで困ってる人っていうのはだいたいひとりではないんだ。

 2点め、読み進めていくと自家製のぬか漬けが出てくる。
 ぬか漬け!
 いやその恐怖心先入観固定観念こそ取り払うべきものなのだ、と作者は力説されてますが、子供の頃からぬか床がどうにかなって
「あーもう!」
と嘆く母の姿を見続けてきますと、とてもとても半端な気持ちで取り組むべきコンテンツだとは思えない。
 ぬか漬けが象徴的なんですが、ぽろりぽろりと「いやそれはめんどい」ということがサラッと書いてある。
 朝早く起きて3日分のお米を炊く
 それがもう無理。
 それをおひつに
 おひつ!
 あの油断するとすぐカビて洗いにくく干す場所もなく置き場所にも困るあの食卓の総大将を、わざわざお使いになる!
 このへんで
「あこの人本質的に料理好きなんだな」
と悟ります。
 つまりレシピ本ではありませんが料理本なので(あたりまえか)、「食い物のことに困っている人」への福音書ではなく、普通に料理好きの人に対して「ミニマル食卓」を提案する書。その意味では以前ご紹介した土井善晴先生の『一汁一菜でよいという提案』の類書です。
http://rakken.sblo.jp/article/177913078.html



 あと佐々木俊尚さんの「家めしこそ、最高のごちそうである。」
http://rakken.sblo.jp/article/98136686.html



 稲垣さんは以前は、家族や同僚がお祝いといえば調理器具を贈ってくれるような料理好きで知られた方で、文字通りレシピ本に埋もれて暮らしていたそうな。その日々は決して無駄ではなくて、その時反復練習した整った味のレシピたちが、その場アドリブで味加減する時の暗黙知データベースになってると思います。
 そんなもん「ぬか漬けを炒め物にちょっと入れると味に深みが」とか言われたってわれわれビギナーズは「あー怖い怖い怖い怖い怖い」ですよ。(まあそれが怖いとわかるのも経験のおかげですが)

 逆にいうと、ここに描かれている食生活が本当に豊かだ、という事実は、なによりも本人が楽しそう、というエビデンスによって保証されています。その点嘘偽りはない。
 クックパッドの人気メニューを無造作に並べた雑誌をめくるよりは「おいしいもの作ろう」スピリッツは湧いてくる。

 余談ですが最近、クックパッド・システムって集合知(らしきもの)の弱点をさらけ出してて、「おいしいレシピ」じゃなくて「会員が反応しそうなレシピ」が上位に来るんですよ。
 具体的にいうと砂糖使いすぎ。
 みんな甘いの好きやなあ……
 さすがに2年近くやってると多少勘も芽生えるもので、「いやこの内容で味醂も砂糖もは多い」と思って減らしてちょうど、みたいな。
 選挙とかPOS商品管理とかなんでもそうなんですけど、ここの乖離が現代のいろんな不幸のもとではないかと思い、また逆に考えれば、AIとか短期的にはたぶんそれしかできない(「会員が反応しそうな」を探す)ので、「おいしい」を作れる人の希少価値は変わらない気がする。

 繰り返しになりますが、「一粒食べれば一日元気な「仙豆」みたいなものがあればなあ」と妄想するような方にはオススメできませぬ。
 逆に「おひつご飯」「ぬか漬け」「干し野菜」「アレンジ味噌汁」「ストウブ」「ダッチオーブン」などといった単語にピクッとなる料理好き向けの書でございます。
 おもしろかったです。

 やはりそろそろストウブかル・クルーゼかバーミキュラの鍋をひとつですね……またそこから行く。
posted by ながたさん at 16:17|

2017年09月29日

本「福島第一原発 1号機冷却「失敗の本質」」NHKスペシャル『メルトダウン』取材班




 固唾を呑んで見守ったのが昨日のことのようです。
 何回か書いてますが僕はその昔部活(ブラタモリ部)でちょっとだけ原発のメカを齧っており(チェルノブイリ事故の直後だったのです)、その夜、確かニュースで「ECCS(緊急時炉心冷却システム)が作動している」と聞いたもんですから「ならたぶん大丈夫だ」とちょっとだけホッとした記憶があります。
 1号機のIC(通称イソコン)がECCS扱いではない、なんて当然知りませんでしたし、2号機3号機のECCS(にあたる装置)も時間稼ぎしかできずパーマネントに作動するものではない、とも知りませんでした。
 つまり何も知りませんでした。
 いやそりゃあんたは素人なんだからそうだろう、と。でもプロは、といえばこれがまた知らない。
 あまりにシステムが巨大すぎ複雑すぎ、かつ40年という長きに渡って続いていく技術なので伝承が極めて難しい。
 その模様が克明に描かれています。

 具体的には前述のICですが、これは電力が不要で蒸気の力で動くために、緊急時にまず一発目で回る冷却系、という設計だったそうです。建造中や運転開始直後に試験運転してる様子を観たOBの証言がある。
 ところがいつの間にか動作確認の試運転はやらなくなり、かつSR弁という別の安全装置が先に動くように設定替えされている。それをそのOB(勤務地は当然変わっていくので、ずっと1Fに居たわけではない)が聞くと「えっ」という反応。「そんな重要な変更をするなら技術提案書とかなんとかがあるはずだけど……」もちろん無い。正確に言うと記録が無いからそういうものがあったかなかったかもわからない。どんな議論がされたかあるいはされてないかもわからない。

 結局、苦心惨憺消防系から入れた水は、あっちこっちで分岐して他所に流れ込み、ほとんど炉心に入らない。「この系統なら入るはずだ」の知識まではなんとかあるんですけど、その先、分岐先を実際に止めてる弁が地震や津波あるいは水素爆発によってどう変化しているか誰も知らないので、ダダ漏れに気づかない。

 無理でしょう?

 印象的だったのは人類開闢以来、巨大官僚システムで脈々と受け継がれるキャリア・ノンキャリア方式が原発でももちろん採用されており、吉田所長(キャリア)は運転のことを何も知らないんですね。それを統括するのは当直長(ノンキャリアのあがりポジション)で、ここに大きな断絶がある。1号機の水位計が一瞬だけ復活した時、水位が通常よりえらい下がってるので、それはつまりICが動いてないってことではないか、と現場は不安に思い連絡もするんですけど、中央はその重要性を理解しきれずにそのまま放置してしまう。
 そうこうしてるうちに2、3、4号機が次々に危機を、それも違うタイプの危機が訪れて1号機のことを忘れる。
 不眠不休で72時間経つとどんな人間もだいたいなにもできなくなるそうで、吉田所長倒れる。代わりは居ない(用意されていない)。

 無理やと思います。

 巨大システムの本場・アメリカだとそのへんはもうちょっとしっかりしてるようですが(そのあたりも本書で)、といっても彼の国もお大事のスペースシャトルを5機中2機も爆発四散させており、ある閾値を超える大きさと複雑さのシステムは、人間には根本的に扱い切れないものなのではないですか。
 物理的、機械的な面はもちろんながら、上述のような官僚機構による意識・情報の断絶はもはや手の打ち用もない。本書にあるように、所長以下関係者に知識・経験・士気すべて揃っていても、巨大システムはそれ自体生き物のように崩壊・暴走し、それに対して人間は無力。

 無理。

 たかが電気を起こすだけのもので他に代替手段はいくらでもあり、かつ代替手段の方が遥かに安くつくこのご時世です。
 ご存知ですか今ドバイやアブダビのメガソーラー、kWhあたり3円ですよ。デンマーク沖の洋上風力でも6円。太陽光や風力は装置産業なので、装置が量産されると劇的にコストが下がるんですってば。
 あなたのご家庭がいまkWhあたりいくら払っているか検針票ご覧くださいな。しかも今の時点でこの事故処理に8兆掛かってて、これからいくら増えるか見当もつかない。これわたしらの電気代でこれから返しますからね。

 最近、理性や知性は想像よりずっと限界値の低い能力で、これに頼るのはパフォーマンス的にも効率的にも良くないんじゃないか、と思います。後世、長い20世紀は「過度に人間の理性と知性に頼りすぎた世紀」と呼ばれるかもしれません。
posted by ながたさん at 00:10|

2017年09月14日

マンガ「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」1-24 安彦良和




 遅ればせながら読み終えました。
 ファースト偉大ですよね。

 あと富野監督。言うまでもないですが。
 ア・バオア・クー戦を理屈で詰めるとこうなるはず、というのが、
「あの時点で連邦の宇宙兵力は(ソーラ・レイの被害もあって)たいしたことないはず」
「補給もままならないので博打」
「艦隊を普通に並べていても要塞には太刀打ちできないので、MSを突っ込ませて内部から破壊」
 つまり二〇三項地みたいなもんだと。
 でもアニメ本編ではDデイか硫黄島の戦いのような印象ではありませんでしたか。圧倒的な物量で押し潰す感じの。
 ここがドラマツルギーというか、苦労に苦労を重ねたホワイトベースが最後の戦いには圧倒的軍勢の旗頭になっている、というのが視聴者のカタルシスを得る。エンタティナーならばそう演出してしまう。
 でもその熱狂が醒めてしまうとふと、
「あれ、じゃあのソーラ・レイって結局そんなに実害はなかったの?」
みたいなことになるではないですか。「1/3沈めた」と劇中で説明されてるのに、それで押し込めるんだから。

 というようなファーストが勢いと富野ケレンで良くも悪くもごまかしてたところが丁寧に均されていて、ただただすごいなあ、と思いました。
 やっぱりちゃんとした絵を描く人だからちゃんとしてないと気持ち悪いんでしょうね。

 というその御真筆ももちろん堪能できます。
 ワタクシゴトですがわたしブロンドコンプレックス持ちで自分の作品にはだいたい金髪が配備されるのですが、どこで培われたかと言えばおそらくメーテル(『999』)とアルフィン(『クラッシャージョウ』)とセイラさん(『機動戦士ガンダム』)であり、つまり後二者は安彦キャラであり、どう責任取ってくれるんだ!ありがとうございます!
 いまだに好きなプリキュア挙げろと言われたらピーチ(金髪)とフローラ(金髪)で悩む有様やからな……
 もちろんシャアとガルマのBLもあるよ。
 あとザビ家全員大活躍なのでザビ家ファンにはたまらない。
 マ・クベも超カッコイイ。ランバ・ラルは言うまでもない。
 でも、こんな風にジオン側が魅力的に描かれすぎると、今も
「あれはいいものだ」
「ザクとは違うのだよザクとは」
という言葉が流通してたかどうか疑わしい。
 だいたい名セリフというのは「この人ならばこう言うだろう」ではなく、唐突に何言ってんだこの人、みたいな方が印象に残るものです。

 まあ偉大な作品ですよファーストは。
 エポックなアニメと言えばその前に『ヤマト』その後に『エヴァ』がありますが、両者がその作品世界から離れられなかったのに比し、『ガンダム』は今もなお、多種多様な世界を創造し続けています。世界のガンダムが闘ったり。プラモで闘ったり。
 お台場に実物大が立った時、みんな拝みに行きましたでしょう?
 僕も行きました。
 なかなかね、そういうことを起こせる作品て、無いです。
posted by ながたさん at 00:00|