2018年01月10日

1/10


●母はやはりインフルBでした。
 先日の記事によると今年のワクチンはA(H3)向けのようなので、ハズレ。
 ワクチンのおかげかそうでないのか不明ですが立ち上がりが遅くて「インフルではないかな?」と医療機関受診が遅れた(連休もあったし)りもしたり、これ予防接種打って外して罹ったの2回めなので
「もう注射止める!」
と駄々をこねる始末。
 ということで打ったからといって安心してはいけませんぞ。
 僕もなんとなく調子悪いので養生してました。
 伝染らないように手洗いとか別タオルとか用心もしてます。

 各人の免疫は「このぐらいまでなら耐えられる」という閾値があって、それ以下なら多少ウィルスに曝露していても発症しないそうです。つまり物理的な曝露量減は効果あるので、人混みでのマスクなんかもバカにできないようですよ。

●先代から掛かってる古なじみの医院なのですが
 今年からインフルと分かると待合室へ帰されず別口から退出させるようになったそうです。

posted by ながた at 20:24| 日記

2018年01月09日

1/9

●散歩はパンケーキの美味しいお店『Bliss』(ブリス)さんへ
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270404/27098489/
 ふわふわで各ソースとの相性もよい。
 ランチにはカレーやオムライスもあり(けっこう美味しい)、夕方からはバー化するという欲張りなお店。
 よく行くので夫婦で顔を覚えられてしまいました。

 おいしいですよ。
 おすすめ。

●パンケーキ、天王寺でこないだ行った『J.S. PANCAKE CAFE』(天王寺MIO)
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270203/27071422/
も美味しかったです。
 インスタ映えな見た目に反して?味もよくて、僕はサーモン&アボカドをチーズクリームソースに載せた食事系をいただいたのですが、なかなか。
 スイーツ系は生地が甘く、ミール系は全粒粉で甘くない、など、ちゃんとしてます。
 あたりまえか。

●などとパンケーキのお店行って、priceを見るとわりとする。
 で、そうなると『コナズ珈琲』がお得に思えてくる不思議。なるほど、さすが丸亀製麺。

●言うても「粉もん」なので拙者秘蔵のはるゆたか100(はよ使え)を使えばきっと美味かろう……と思うのですが、めんどくさくてまだ試してません。
posted by ながた at 22:51|

2018年01月08日

1/8


●母が風邪に倒れ(インフルでは無さそう)、奥さんも調子悪い。ついでにネコもひとりお腹を壊している。この季節のはひとり罹ると家庭内パンデミックになりかねないので、よく手を洗う。

 わたし自身はジョグ効果か、今シーズンまったく風邪引いてないのが逆に怖い。でかいの来ませんように、なむなむ。

●インフルワクチンって
ワクチンの株と罹った株とが合ってないと有効性が著しく落ちるそうで、たとえば去年豪州ではA(H3)タイプに対しては17%程度しか効かなかったりしたそうです(『日経メディカル』12月号より)。
 つまり打っててもまるで安心できない。
 ほな打つだけ無駄ちゃうか、と思ったりもするのですが、抵抗力の弱い高齢者や乳幼児、あるいは持病をお持ちの場合、すこしでもリスクを避けたくなるのも人情。
 それに「打ったから大丈夫!」というプラセボもまた非常に大事ですしね。
 難しい。

 ワクチンってつまり生き物なので「理由わからんが今年は育たない!(生産量が増えない)」などということが普通にあるらしく、今年もたいへんなようです。最前線の関係者の皆様には奮闘おねがいいたしたく。
 われわれは手を洗いましょう。

●「昨日の敵は今日の友」
という慣用句そのままのニュースがこれ↓
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/event/1099879.html
つまりいまのintelの敵はAMDではなくNVIDIAだと。(Armはまたビジネスモデルが違う)

 テスラ(EV)が日本でも突如大流行して、慌てたトヨタが日産リーフ(EV)のドライブトレーンをそのまま買ってきて自社のプリウスに載せてるような感じ。
 ……と書くとあんまり衝撃的でも何でもないなあ。
 忙しい時代ですねえ。
posted by ながた at 22:55| 日記

2018年01月07日

本「40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方」葛西紀明 本「40代から最短で速くなるマラソン上達法」本間俊之




 葛西さんの方は各単元ごとにこまごまと具体的に書いてあって、非常に参考になりました。葛西さんわたしの1つ下で、いちいちウンウンうなずきながら読みました。
「若い頃はがむしゃらに頑張ったら報われると思ってた」
 ウンウン。
 違うんだよねこれがね……
 特に印象的なのは「心的ストレスを避けろ」という点で、ストレッチでもダイエットでもなんでも、「ねばならん」が昂じすぎると心身に逆に良くないので、羽目をはずす日を設けたり、たとえばランニングでも飽きないように30分以上走らない、とか。

 どうしても「やろう」と作為をもよおすとストレスと隣り合わせなので、うまいこと「やろう」を繰り出さなくても「やってる」のように組むのがよいのかな、と思います。
 やれるようにやる、とか。
 なんとか。

 本間さんの方はエンジニアらしいセルフR&Dの過程が詳細に書かれていてたいへん興味深かったです。その時ごとに参考にした本や人、経験、アドバイスが山盛りで、「まず情報収集から」は上達の基本ですな。
 で結論としては
「フォームにしろ練習法にしろ正解は無い。ひとりひとり違うしまた変化もするので、その時々に応じて自分で開発していけ」
という極めてまっとうなもので、どんな芸でも突き詰めればそういうしかないなあ、と思いました。
 わたしも「こう書いたら絶対おもしろい」みたいな必勝法を探したのですが、ありませんねそんなもの当然。

 その試行錯誤そのものが趣味の場合は一番楽しい。
 というか楽しい試行錯誤のことを趣味という。

 でも僕はもう30分も走ったらおなかいっぱいなので(たぶん白筋の方が多い白身魚なんでしょう。カレイあたりですかね)、フルとか走りませんよ。走りません。
posted by ながた at 22:34|

2018年01月06日

1/6


●友人宅までまた別の友人と特急に乗って赴く。
 M-1の勝者は誰かという話になり、関西人たちは口々に「和牛だ」と叫び合う。友人の息子氏(小2)などはそれまで夢中のスーファミミニの手を止めて
「和牛だ」
と真顔で訴える。しかし私は審査員を擁護する、
「和牛は去年より今年の方が良くなった。まだ伸びるならまた来年観てみたい、と思うではないか」
と。
 とろサーモンも普通におもしろかったしね。
 ミキもまだ荒削りだし。わずかな期間であそこに居るのも凄いけど。
 友人が目を細めて問う。
「ジャルジャルは?」
「練習で練ったもの=『凄い』は漫才には不要、と切り捨てた審査員が凄いと思った。ほとんどベテランなのにその価値観を持ち続けられるのは偉い」
 相当練習したんだろうなあ、すごいなあ、と思いましたけどね。
 松本さんが一番評価してたのが印象的でした。
 登美丘高校ダンス部が準優勝にも関わらず話題を独占しているように、負けてよかったんではないでしょうか、和牛。
 知らんけど。

●関西もぜんぜんウカウカしてられないなあ、と思ったのが東西ネタ合戦みたいな番組みてるともう東西でぜんぜん差がない。
 トップバッターが東サンドイッチマン、安定感抜群の見てくれどおりの横綱相撲に銀シャリをぶつけなあかん時点で結構。
 NGKでライブの番組を観るとまた大花、トミーズ、カウスボタンといったおなじみの面々が若干ハイコンテキストな一世代古いネタ構成(たしかにホームグラウンドかつお正月に十八番以外の選択肢は無い、とはいえですね)で、ピンマイク無しで距離取ると聞こえにくくなる舞台装置も相まって、取り残された地方都市感満載。
 いや実際にそうなんですけど。
 食に続きお笑いも、となるとあと何が残ってるかなあ、と考えて何も無い。
 すかーんと晴れわたっていいと思います。
 焼け野原だからこそ新しい芽が伸びうる。

●最近いつもクルマでお邪魔してたので、「お酒が出る」ということを忘れてノー・ディフェンスで立ち向かって轟沈しました。いやもうまったく面目ない。
 ことし47やで……
 最近、「呑む前にのむヨーグルトを入れておくといい」というTipsを耳にし、年末に恩師を囲む会や恒例大晦日スペシャル「マシンガンの弾を避けきったクリーンな田中支店長(仮名)を賛美する会2017」ではR-1のちいさいボトルをコンビニで買って呑む直前にグッといってみたんです。
 そしたら随分良かったんで、「あこれ習慣にしよ」と思ってたのですが……
 ハイチオールCもいいと聞くので(元々は二日酔いのクスリとして売り出したそうです。僕らだともう肌荒れのイメージですよね)今日買いました。
 得意技:泥縄。
posted by ながた at 22:19| 日記

2018年01月05日

本「UNIXという考え方」Mike Gancarz 監訳:芳尾 桂




 原題「The UNIX Philosophy」、UNIX哲学。

 わたしらの時代は幸せだったなあ、と感じる点はいくつもありますが、特に「コンピュータ」というものが人の生活に浸透していくプロセスを目の当たりにできた、これが知的におもしろかった。いやもちろん現在進行系ですけど。

 そのコンピュータと人間とのインターフェイスを司るのがOS、あまたあるOSの中でもUNIXは、いつのまにやら巨大な存在になっています。
(僕が大学生になったばかりの頃は、まだ研究機関御用達という感じでした)
 サーバ群で使われるLinuxもUNIXですし、MacOS/iOSも、Androidもまあ言えばUNIX、気がつけば組込系とスパコン、つまり上と下を除くカスタマーレベルではWindows系以外はほとんどがUNIX系になってしまいました。
 誕生70年代頭、以来ほぼ50年なぜこのOSがじわりじわりと多くの人々とマシンに受け入れられていったか、その秘密が書かれています。

 9つの定理と10のサブ定理があるのですが、乱暴にまとめて言ってしまえば
「一つのことをうまくやろう」。
プログラムはできるだけシンプルに、一つのことを確実にやってのける。それ以外の機能は別のプログラムに助けを求める。パイプやシェルスクリプトによって人間はそれらを自由に組み合わせて望む出力を得る。シンプルなプログラムは小さいのでメンテしやすいし別の機械にも移植しやすい。
 これあらゆる「道具」に当てはまりませんか。
 料理人も包丁を何本も鍋をいくつも持ちますが、そりゃ牛肉を捌く包丁とリンゴを剥く包丁は別の方がいい。
 そう考えると、UNIXの末っ子みたいなスマホも、「1アプリ1機能」みたいになってますよね。Facebookも、Facebookアプリの中でメッセージのやりとりができますが、別にFBメッセージアプリがあって、こっちの方が使いやすい。LINEなんかいくつ関連アプリがあるかわかんないぐらいです。
 いまじゃ大学生だってスマホ/タブレットで論文書いたりするそうですが、それは「お金が無い」とか「子供の頃から慣れてる」とかの他に、肥大化するPCアプリ、たとえばWordやExcelやPhotoshop、がすでに人間が反応できる領域を超えている、からかもしれません。
 というのは考え過ぎか。

 Small is beautiful.
 言うは簡単ですがそれがなかなか難しい。達成するのはまだなんとかなっても、維持するのが。
 なんとなく、みんながああだこうだ言いながら、ピンチになったら誰かが一からやり直したり、全く新しいことをやろうと思ってたけど結局それより古くからあるものをピシッと建て付け直して使ったほうが早かったり(使えるものは使え、もUNIX哲学)、すったもんだしながら様々なバリエーションを生みつついつのまにやら多勢を占めてる感じ、これ民主主義みたいです。
 逆か。民主主義強し、ということですかね。
 哲学が広く共有され、それをメンテする有志達が居れば。

 コンピュータに興味ない方でもものの考え方として汎用性あることが書いてると思います。
 おすすめ。
posted by ながた at 18:30|

2018年01月04日

本「羽生善治 闘う頭脳」羽生善治


 ハブさんは凄い。
 ハニュウくんも凄いけどハブさん長い間凄い。
 「永世七冠」とか意味わかんないですよね。
 どのぐらい凄いかってWikipediaの「将棋のタイトル戦結果一覧」をご覧あれ。(ハブさんは赤)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AB%E6%88%A6%E7%B5%90%E6%9E%9C%E4%B8%80%E8%A6%A7

 真っ赤っかでしょう。
 なんですかこれは。
 89年の竜王が初タイトル、そこからこの17年の竜王まで28年間で201個のタイトルが発生してそのうち99個を奪取。
 半分。
『ドラクエ』の竜王のセリフ覚えてますか、決戦前に勇者に選択を迫るんです、
「もし わしの みかたになれば せかいの はんぶんを
 たなか にやろう。」
 羽生竜王はこうして世界の半分を残りの棋士に分け与えている。

 今年も(得意の)王位・王座を若手にポロポロと譲って久しぶりに一冠(この表現がすでにおかしい)に後退したあたりで、ニュースだけ見てる方なら「いやぁ羽生さんも年か」なーんて思われたかもしれません(いやタイトル持っとるって)、が、口さがない将棋ファンの間では、
「これは満を持して渡辺を倒すための準備ではないか」
などと囁かれたものです。タイトル戦は長く続くので、粘ってると後で始まったタイトル戦とスケジュールが被ってくるんですね。だからわざと負けてクリアーな状態で闘う、と。

 並の棋士なら「そんなアホな、大切なタイトルを」と一笑に付させれるような穿ち過ぎた見方も、「もっと大切な永世称号が掛かってる」となれば話は別。そんな穿ち方をされてること自体凄い。

「永世」の基準は各棋戦によって違うのですが、ともあれ連続5期とか通算7期とか長らくそのタイトルを保持せねばなりません。羽生さんにとって最後に残った永世タイトルが(この表現もまたおかしい)この竜王で、これ渡辺さんに過去二回、阻まれてるんですよね。
 しかも最初の2008年は3連勝後の4連敗(この言葉聞くとわたしら往年の近鉄ファンはいまだに胸がシクシクする)、これはタイトル戦では初の大逆転劇、おまけにこれに勝った渡辺が初代永世竜王、ということで因縁の相手、「倒すなら渡辺」というまさに将棋神が整えた三度目の大舞台、ここでズバッとやっちゃうところがスーパースター。
 去年はスーパールーキー藤井聡太さんの連勝が話題になりましたが、どっこいラスボス健在という感じです。

 あ、本の話ですね。
 羽生さんのイノベーティブな点は、これは若い頃よく言われたことですっかりもう当たり前になっちゃったので(真にイノベーティブなことは「あたりまえ」になるものです)もはや皆さんお忘れかもしれませんが、
「将棋はゲーム」
と言い切り、人間力とかそういう妄想の産物を排除したことです。
 女・酒・博打、遊んで遊んで強くなる。
 そんなわけないでしょう、と。
 代わりに研究・試行錯誤・実践。学んで学んで強くなる。
 これ自然。
 霧と霞の向こうに遊ぶ神様たちが、青天白日のもと闘う(頭脳)アスリートになった、みんながそう思うようになった、のはこれ羽生さんの存在が大きい。(もちろんそれは本書で羽生さんも言っているように、それ以前の棋士たちが少しずつ開けてきたドアなのですが)
 ひとの、いや社会の認識を変える個人、というのはやはり天才と言うしかあるまい。
 むしろ天才の定義をそれとしてもよい。

 対談でもインタビューでも、相手がその秘訣、「神秘」を聞き出そうとあの手この手を繰り出してくるのですが、羽生さんの答えはいつも具体的かつ身体的。容易に観念論同士が闘いそうな場面でも
「そのやり方は私には合わないので」
とサラリと身をかわす。
 おそらくここに強さがある。
 人間は「やり方」をシステム化して改良したり、応用したり、たくさん用意したり、したい。
 「よくできる」人ほど、したがる。
 それは確かに強力な武器なんですけど、相手がある場合、固定されたやり方を繰り出せば、もしそれが対策されていた場合、簡単に負ける。だから流れの中、変化の中で、その時その瞬間に応じて「やり方」を変えたりチューニングしたり、絶えずし続けなければならない。
 この「相手」とは、人間のみならず自然でも何かの物体でも研究対象でも同じ。
 だから「必殺の羽生戦法」みたいなものは存在しえないのです。羽生さんが強くあるかぎり。

 それは羽生善治だから?
 いや、凡百の我々こそそうでなければ、と思いますよ。
posted by ながた at 12:41|

2018年01月03日

本「ランニングする前に読む本」田中宏暁




 事の起こりは去年の春先、なんだか身体の調子が悪い。本人的には十分寝たと思って朝起きても、
「はぁ……」
とため息をついて椅子の上でぐったりするばかり。奥さんがよく見れば目の下には深いクマ、そんな時には何を語りかけても「……あぁ……ふん……」と生返事。冗談抜きで、
「……この人もう死ぬんじゃないか」
と思ったそうです。
 これが噂の男性更年期か、まさか慢性疲労症候群、はたまた鬱か。
 とにかくマズイと思い、やれることはやってみました。
 奥さんの通う鍼灸院にお邪魔して元気の出るメジャーツボを刺してもらう。家でもお灸を据えてみる。腰を温める、肩をほぐす、揉んでもらう、風呂に長く入る、タンパク質を取ろうと牛乳をガブ飲みする。サプリも飲む、健康酒も飲む。

 さして効果なし。

 そんな折ですフォーク・デュオ「カズス」の相棒、テルがカー・イベントに誘ってくれたのは。(詳細↓)
http://rakken.sblo.jp/article/180853050.html
 車中、テルが言うのです、
「走り始めた」
と。なんでも奥方が行きがかり上市民マラソン大会に出る羽目になり、それなら、と愛情を発揮して練習に付き合ってるうちにおもしろくなってきたとか。そして何より僕の心を引いた一言は、彼はそれ以前、整体の先生に掛かっていたそうですが、「走ってるおかげで整体いらず」だと。

 走るのか。

 40の声を聞いたあたりから同窓生達がレミングスのように走り始め、あたりまえのようにフルマラソンを完走したりしています。しかしメンツをよく見れば銀行員、公務員、医者、教師、そして経営者。
 つまり走りでもしないとその強いストレスから逃げられないんだ彼らは、と回し車を回っているハムスターを見るように見ていました。

 しかしあれは、回させられているのではなく回っているのであった。

 そんな会話のあと、書店へ行きますとこの本が目に飛び込んでくるのです。中を見ると、ああこの2009年の「ガッテン」の回観た観た。
「スローでいい」
というのが印象的な回でした。しかしそこでフィーチャーされていたのはお年寄りや生活習慣病の方々……ええい。
 買った・読んだ・そして・走り始めた。

 最初は近所のローソンまで数百メートルです。
 行って帰ってゼイゼイ言ってる僕を見て奥さんが大笑いしました。
 しかしやればやれるもので、毎日ちょっとずつ距離を伸ばしていきますと、駅前まで1.2キロぐらいはなんでもなく走れます。スローですしね。
 時はあたかも夏に向かうさながら、朝(といっても7時8時ですが)走って駅前マクドでアイスコーヒーなどヂューッと啜ってまた走って帰る。汗ダクダクで、ほどよく冷めた昨日の風呂に飛び込む。
 これがきもちいい。
 そんな毎日を繰り返していますと、まあテキメンです。
 元気、帰ってきました。
 ほんとすぐ。
 1週間とか10日。
 あの目のクマはどこかへ去り、食欲も湧き活発になる。
 メカニズムとしては、ほどよく疲れるのでよく寝れるんです。で、そういういい睡眠をしたあと気づくんです、ああ僕睡眠不足だった、と。
 もちろん、深い呼吸をすることによって・汗を掻くことによって・身体のいろんな筋肉を動かしたり動かされたりすることによって・血行がよくなり新陳代謝が活発になり、積極性が戻ってきます。
 すっかりマイ・ブームになって、夏のコミケの時など旅先にちゃんとトレパンと帽子を持って行き、前日旧友と呑んだくれたにも関わらず5時半に起きてスーパーホテル品川新馬場を飛び出して2キロぐらい商店街を駆け抜けました。
 あそこ朝も大風呂やってるのでもちろん飛び込む。
 最高。
 このままビール飲んで大阪帰ろかと思うぐらい。
 もちろん腹いっぱい朝食取って元気満タンでいままでにないぐらい快調なコミケでした。体調はね。

 以降、秋口に長雨があってちょっとサボったりもしましたが、チンタラ走り続けています。僕の劇的な効果を見て奥さんも走りはじめて、一緒に公園一周3キロを走ったりもします。

 この本の良さは一言で言えば、
「スロー『が』いい」
と理屈建てて説得してくれるところ。
 有酸素運動を司る回路が回るぐらいのスピードで走らないと、その能力は上がらないそうなんです。つまり速くキツく走っちゃうと、筋肉や心肺能力は上がるかもしれませんが、肝心の酸素を全身に送って活用させる能力はそれほど上がらない。
 で、スプリンターや何かのスポーツの能力を高めるために走ってる、のではない人、つまりほとんどの人にとっては、その「酸素活用能力」の方が、日常を楽にしてくれる、体力を上げてくれる、という意味で大切なのです。

 同窓会で「キロ10分」などというと本格ランナーたちに爆笑されるのですが、これからもそのぐらいで走りますよわたしゃ(笑)

 若い時、25ぐらいをピークに身体能力は落ちていくと思いますが、その頃これを知りたかった気もしますし、いやむしろ45だからたった数日でテキメンに効果が出てこうして続けられているのかもしれず、まあとにかく老いにも若きにも、もちろん男女とわず、それからインドア派の方にこそ、スロー・ジョギングをおすすめしたい。
 言うまでもありませんが、僕も奥さんも根っからの120%インドア派文化系クラブ育ち、走るなんて1mだって御免こうむる、という人間でした。それがトレーニングウェアに身を包んでこのクソ寒い中二人で飛び出していくんですからあーた。
 そのぐらい、効果があります。

 昔の人は生きていく、生活をしているだけで現代人の何倍も身体を動かしていて、それが何万年も続いてたわけですから、おそらく私たちは慢性の運動不足で、ちょっとムリクリでも身体動かさないと不調に陥るような気がします。
 ご存知かもしれませんが、クルマも完全に動かさないよりたまに乗って走り回る方がむしろ、調子を落とさず「走る」という機能を維持し続けます。クルマぐらい簡単なものでさえそうですから、人間なら、もっと。
 もちろんそれには水泳でも太極拳でもフットサルでも縄跳びでもなんでもいいと思うのですが、「走る」は靴履けばいますぐ始められるのが魅力。道具不要、相方不要、技術知識不要、時間いつでも。
 いま・ナウ・いつもの服にいつもの靴で大丈夫、財布と携帯だけポッケに突っ込んで、500mぐらい先のコンビニまで、ハーゲンダッツを買いに行ってみましょう。
 走って。
 行って帰ってゼイゼイ言って、しばらくするとでも、なんとなくちょっと元気になった気がしますよ。
 ボーン・トゥ・ラン。
posted by ながた at 22:53|

2018年01月02日

1/2

●今日おもしろかったのは

・箱根駅伝「薄底vs.厚底」靴の知られざる闘い ナイキ驚異のイノベーションが歴史を変える
http://toyokeizai.net/articles/-/202761

 わたしよく誤解されますが、基本的に科学の子で家にダイソンが4台あります。iOSデバイスなんか数えるの怖いぐらい。
 だものでこの手の、
「科学の力が属人的職人芸を粉砕する」
という話は大好物です。(もちろん逆パターンもよく起きますが)
 これつまりいわゆる「イノベーションのジレンマ」で、「巧いこと行くやり方」が確立しててしかも長い間効果があると、どうしても保守的になってゼロから見直した革新は極めて起きづらい。
 むしろ追いかける方が「なんとかせねば」という意識からこういう思い切ったことができる。

 実は去年の夏からゆるゆる走り出したのですが(詳細は明日にでも)、そのバイブルに「フォアフット走法がいいよ」と書いてある。
 上記記事にもありますが、足の指の付け根の膨らんだところから着地すると、衝撃をよく吸収できて(その場でジャンプする時をご想像なされい)疲れないしケガもしないよ、というもの。
 でいろいろ意識してはいるのですが、自分でできてるかどうかイマイチわからない。年の瀬にプチ同窓会があったのでランナーの友人(フルを何十回と走る)に聞いてみたら、

「いやそれはもっと上の方の人の話。私らベタ足でいい」
「いや……えー……あんまり意識したことないなあ……」
「それはわからんけど、視線が上下しないようにはしてるかなあ」

という感じ。そんなもんかいな、と思ったのですがトップランナー(の一部)はこういう科学の力を用いてフォアフット・フォームを作ってるわけですなあ。
 いまこれ2日の夕方に書いてるのですが、この新コンセプト・シューズを履く東洋大がとりあえず往路優勝しました。
 さあ明日どうなりますことやら。

●文章書きは──すくなくともわたしは──基本的にはソリッド、シャープ、「言いたいことだけピシッと過不足なく言えている」という文章が書きたいものです。
 しかしこれも実は「文章書きのコンテキスト」に過ぎず、お読みになるふつうの方は別にそんなん気にしてない……のかもしれない、と、いまさらながら、一巡回って思ったりもします。
・「なにを」「どう」書くか
と二つの視点から見てるつもりでやってきたのですが、この「5年でちゃぶ台返し」みたいなゲームのルールがコロコロ変わる時代では、そういう余裕はなくて(あるいは単純に時間がなくて)、どっちか片方で手一杯。
 どっちか選ぶとするなら「なにを」ですかね。
 どうなんだろう?
 新春初笑い系番組で、いまもなおおもしろい阪神巨人師匠やカウスボタン師匠を観て「どう」もいいかな、と思うのですが、それが合うか合わないかはまた別。
 今年の年賀状は、去年ようやく18年ネタのミラクル年賀状が終わったので、シンプルにしてみました、というのは負け惜しみ、「年賀状のネタ出し」のやり方をすっかり忘れ去っており、なにも出ないのでタイムアップでシンプルにせざるを得なくなり、
(途中美しいポエムを書いたのですが、歌人の娘に(案の定)ボロカス言われて棄却しました)
しかしまあできあがってみれば「これでいいか」などと思ってみたりもしたり、「いやいやこれでは」と思ってみたりもしたり、あいかわらずよくわからないです。

 人生ってむずかしいなあ。

posted by ながた at 23:30| 日記

2018年01月01日

あけましておめでとうございます。


 新年早々我らがセレッソ大阪がヤンマー時代以来久しぶりに(つまりセレッソになってからは初の)天皇杯を獲るという歓びに見舞われ、こりゃ春から縁起がええわ、ことしはエエことありそうやで!とニタニタしています。
 昨年J2からプレーオフをしのぎきってなんとか這い上がったチームが、いままで1つとしてタイトル獲ったこと無かったチームが、ルヴァンに続いてカップ2冠ですよ。
 わかんないもんですねえ。
 ことしのMVPはもちろんユーン・ジョンファーン。監督。
 サッカーは監督の力量が発揮されやすいスポーツですが、こんなに露骨に目の当たりにする機会もそうそう無いのではないかと思います。非常に、同じ方向を向いてて一体感のある集団でした。
 今年はACLも出れるし、健勇がいなくなってもいいようにいろいろFWを獲るようですし、もちろん水沼には完全移籍オファー出してますし、ライヴァル・ガ大阪の監督に僕らのクルピ爺ちゃんが赴任するし、いろいろ楽しみです。
 いい時も悪い時もぜんぶ楽しいもんです。

 去年お笑い番組など観てますと、トレンドとしてはどんどんローコンテキスト、つまり文脈に依存せず、誰が観ててもわかるネタになってってる気がします。
 あるあるネタよりさらに一歩ローレベルなぐらいまで。
 あるいはいろんなジャンルが、ローとハイにぱかーんと分かれてしまっているのかもしれません。
 トランプ大統領を筆頭とするいわゆるポピュリストと呼ばれるような政治家は、だいたいローコンテキストで語りますよね。
「あいつらを追い出せ」
とか。それに対して
「見たまま言えばええってもんじゃなくてそこがそうなってるには歴史的経緯があって」
と「コンテキストを理解せよ」というツッコミはほとんど無力。コンテキストの中身に不服というよりも、もう考えることそのものがしんどい。だからロー(なるいはノー)に飛びつく。
 となると対抗する側ももっとローコンテキストでええんちゃうかと思います。カナダのトルドー首相、男前でしょう? 閣僚を男女同数にした理由聞かれて、
「……2015年だから?」
 あんな感じで。

 年末、また恩師を囲む会がありまして中高の同窓生とワイワイ騒いだのですが、中学生ってコンテキストを持ってないただの若い人間ではないですか。あれに戻れるんですよね。
 そうすると普段自分の文脈を勝手にでっち上げてその中で狭く生きてることが否応なく思い知らされて、いかんいかんと。
 わたし、本人には全然自覚が無いのですが、人が言うにはオタク体質だそうで、放っておくとそうやってハイコンテキストな方へずるずる行くようです。これがトレンドに合ってない。ちょっと2018年は
「どなたにでもわかる話を」
という方向で行きたいなあ、と思ったり思わなかったり。

 わたしセンスも無ければ努力が人一倍嫌いなのですが、なぜ今日まで生きてこれたかといえばおそらく、こってりハイコンテキストなものをちょっとわかりやすくローコンテキスト化、それは翻訳というよりは作り替え、リフォーム、ブツをいったんばらして抽象化し、それを目的やクライアントに合わせてガチャガチャ組み直したのち、もう一度具現化する、このめんどくさいうえに下手をすると「なにをしとるんだこの人は」と言われそうな作業、(お家のリフォームでもヘタするとそうなりますね)これが微妙に好きで、なにかしらに対してそれを行うと、対価が降ってきた、ような気がします。
 そのへんを攻めていきたい。
 この文章自体がよくわからんな。
 うーん。
 がんばります。

 みなさまの一年の健康を祈りつつ、
 今年もよろしくお願いします。
posted by ながた at 00:38| 雑記

2017年12月11日

マツダ・CX-8 試乗

 ご無沙汰です。
 馴染みのディーラーにマツダの新型SUV、その名も「CX-8」が配車されたので乗ってきました。

 顔は大人気の2代目CX-5と同じ、エンジンも基本的に同じ2200ディーゼルターボ、だから「CX-5のストレッチ・ヴァージョン」だろう、と誰もが予想します。が、乗ると、
×「ストレッチ5」
○「シュリンク9」
 つまり北米でCX-5の兄貴分に当たるCX-9というSUVがあるのですが、それの小さいの。
 ぜんぜん違う乗り味です。
 スポーツカーもかくや、という俊敏性と軽快感を見せる5とは違い、おっとり&しっとり。さらに静かでさらに滑らか。
 事前予想のようにCX-5と「2列か3列か」で悩むということはあまり無さそうです。

 新世代マツダ車のすごいところは、デミオからこのCX-8まで、サイズもウェイトもキャラクターも何もかも違うのに、乗り始めれば最初の角を曲がるまでに「同じように乗れる」ことです。
 これは地味に凄いことなんですよ、たとえばトヨタでヴィッツとハリアーが同じように乗れるかっていうとそうはいかない。やっぱり何十分か、人によっては数日掛けて馴染むもんです。
 つまりメーカーとして
「クルマというものはドライヴァーにこう操縦してもらおう」
という意思統一ができていてかつそれを製品に落とし込むことができている。すばらしい。
 もちろんクルマのキャラクターごとに運転感覚を変えてあることが悪いことではないのですが、そうすると例えば買い換える時に、「カッコは気に入ったけど走りがなじまない」「機能はどんぴしゃりだけどなんだか運転しづらい」などという残念なケースが発生します。
 マツダなら大丈夫(たぶん)。
 まあ小世帯なのでそうでもせんと生き残れないという危機感の現れでもあるのですが、ユーザー目線で見るとあれもこれもみな兄弟、みたいなわけのわからない豊かな気分になれるんですよマツダディーラー行くと。いやホントに。
 ぼくのデミオは旧世代だけどな。

 このCX-8ですがこの巨体にして実は(今のところ)日本専用車で、9のある北米はもちろん欧州にも出さないそうです。
 ミッションは2つ。
 1つはミドルSUVでCX-5では物足りない層への訴求、具体的にはボルボXC60(COTYカー・オブ・ザ・イヤーおめでとう。ボトム550万円・車幅1900mmのクルマに「日本」カー・オブ・ザ・イヤー出していいのかどうかは疑問ありますが、クルマそのものはカッコもいいし評判も高いですね)のような外車ミドルSUVや、国産でもレクサスRXあたりの高額車と戦う。
 もう1つはMPV、ビアンテ、そしてプレマシーと3車種もあった3列シート車(6〜7人乗り)の需要を受け止める。この手のミニヴァンは世界的にすっかり人気が落ち、ほぼ国内需要だけのガラパゴス車種。マツダの規模では維持しづらいわけです。

 前者についてはいいとこイケると感じました。
 上述XC60は実質600万からのクルマですから(アウディとかベンツとかBMWだともっと高い)内外装のクオリティも安全装備も負けてなくて200万も安い。
 それこそちょっと古いクラウンなどお乗りの方も、クラウンのHVとかに代替えしようとすると600万仕事なわけです。かといってアルファードってのもなぁ……と、これ見ると、えっ、400でこんなに?
 ぼくが若かりし頃に間違ってBMWの3とか買って(E46の最初の方とか)「替えがない」とかほざいてずっと乗ってたけどもう限界、ふらりと入ったマツダDでこれを観たらその場でBMのキーホルダーになってるスイスアーミーで親指切って拇印押して契約ですわ。
「こんな安いのこれ!? いいの!? これが価格破壊!?」
とか絶叫しながら。

 問題は後者です。
 無理ですな。
 問題は3列目へのアクセスです。
 SUVは床が高いので、46歳運動不足のぼくでもうしんどい。ましておじいちゃんおばあちゃんにやらせるのは酷だ。さりとてちいちゃい子どもを3列目に乗せるには忍びない(視界が悪い&追突時に危ない)。
 空間は結構広くて、まあ一駅先のレストランに6人でディナー、なら大丈夫です。でも大阪から京都へドライブ行こう、と言われると辛い。
 だからまあ緊急用というか、なにかわからないんですが「なにか」を納得させるためのもの、という気がします。
 私がどうこう言う筋合いでもないですが、販売店的にも上記3車のお客をごっそり失うと思うので、せっかく提携してることだしノアヴォクエスク3兄弟(と、できればシエンタも)をOEMしてもらったらいいんでないですかね。車名はボンゴで。

 という感じ。
 どういう人が見るかで評価の変わるクルマだと思いました。
 でもブツ的にはとてもいいよ。「CX-5はいいと思うけどもうちょっとゆったり走りたいなあ」とかなんとか思ってXC60に心惹かれてるアナタ、まあいっぺん乗ってみなはれ。
 ええで。
 5と並べてあると、デザイン的にも胴が長い分まとまってる気もする。新世代マツダ車はノーズが長いので、ボディ後半はよりボリューミーな方がバランスがいい。
 もちろん小生にはいささかtoo muchですが。

 以下余談。
「この2017年末にこのクラスに画面7インチはどうなの」という話がありますが、むしろデジタルリテラシー高めの人はもうクルマに付いてる画面なんか観てないんじゃないですかね。
 我が身省みても思うんですけど。
 スマホ観た方が何かと早い。ロータリーコマンダーだろうがタッチパネルだろうが、使い慣れた現物で入力するのには敵わない。音楽なんかも、最近じゃ選曲もせずにBluetoothで飛ばしたSpotify垂れ流し……になってきてますよね。
 画面サイズそのものも6インチ近くになってきてて、2DINいっぱいってだいたい7インチワイドなんですけど(たぶんマツダはそれでこのサイズにとどめてるんだと思う)割と使いものになる。
 さあこうなってしまうと、12インチとかが眼前にズデーン付いてると「これ要らんなぁ…」て感じません? だからといってもちろん、エアコンなんかの操作も統合しちゃうのは最悪ですしね。
 この、「画面どのぐらいの存在感にしようか?」は今世界中でデザイナーたちがのたうち回ってるんじゃないかと思ったり。
 マツダはできるだけひっそりさせる方向。東モに出てたコンセプトカー2台ともそうでした。とりあえず短期的にはそっちが正解だと思う。
posted by ながた at 21:36| クルマ

2017年11月10日

サッカー 日本代表 親善試合 ブラジル戦@リール、フランス


 1-3で圧敗。
 長谷部Cが試合後「もったいなかった」と小声で呟いたとおりの試合内容でした。
 ハリル監督は替えていいと思います。

 ゲームプランは守って守ってカウンター速攻から1点、という対ブラジル戦のお家芸、成功例は21年前の1回こっきり(しかもフル代表ではない)にも関わらず毎回同じことやって玉砕する哀しみの黄金パティーン。
 ただプランそのものは「じゃそれ以外に何があるのか」と問われると困るのでそれでしょうがない。問題は、開始早々の先制点でそのプランが壊れた時になにも対応できなかった点。これが印象悪いです。
 ブラジル相手なんだから向こうが先制点なんて当たり前、とまでは言わずとも、6割7割の確率で起きる事態で、それに対応するプランを用意しておくべきです。ところがそれをただ漫然と傍観するだけ。適切な指示はおろか適切な檄を飛ばしてモチベーションを高めることもできず、2点目3点目(川島のPKセーブがなけりゃ4点だ)をむざむざ奪われる始末。
 あきませんな。
 後任はとりあえず森保さんにやってもらうてのはどうかね。
 あるいは……おか……d……

 それだと進歩ないねえ。
 8年ぐらいドブに捨てたことを自ら認めることになるねえ。

 僕は、日本代表でも、今回やろうとした4-3-3速攻系は十分ありだと思います。
 FWやOMFにも献身的でスタミナもまあまああって守備のできる選手が多いので、引いて取り所決めて全員で追っかけ回して獲ったら蹴っ飛ばす、のは合理的ですよ。
 ただしそれには「キッチリ守備を固める」のが大前提で、ハリル監督にはそれができていません。もうこんだけ長い時間を使ったなら(2年半か)普通できてるはず。
 セレッソ大阪を御覧なさい、ユン監督、あの怖い怖いオッフェンシヴな川崎相手に93分殴られっぱなしで耐える守備網を、ゼロから1年たたずに築き上げたんですよ。
 これが監督の仕事。
 今日の守備だとこないだのルヴァン杯決勝のセレッソの方が良かったッスよ。選手は悪くないですからね、マルセイユやインテル、サウザンプトン、フランクフルトのレギュラーが揃ってるんで。

 それから、この試合は本田・香川・岡崎の3人が呼ばれてません。スタメンから外すぐらいなら、速攻系だと3人共ポジション内での序列が下がるのでしょうがないかな、とも思ったりしたのですが、しかしベンチにオプションとしても用意されてない、のはいくらなんでもやりすぎ。
 ネイマールがピッチを去ったあとのブラジルが(流し気味であるとはいえ)起点を失って攻撃の迫力が激減したように、こちらはずっと起点が無い。一応トップの3人に入れてそこから、なんですけど、ブラジルもそこは極めて激しく行くのでぜんぜん持てない(キープできない)。で時間も陣地も稼げないからボール失うとそのまま速攻……というのをずっと浴びてました。後半むしろ真ん中を持ち上がるようにしてから改善したぐらい。
 本職OMF(攻撃的MF)はやっぱり盤面に1枚は必要ですよ。
 アメフトで言うとRB抜きでオフェンスするようなもんで、フォーメーションはショットガンでもRBは居るわけです。
 余計わかりにくい。
 井手口はもちろんこれからが楽しみな選手ですが、だからって本田や香川の代わりを今努めろしかもブラジル相手に、はキツ過ぎる。

 やるべきことをやらずに、やらんでええことをやりだすと、だいたい「手が尽きた」ってことなので、それはもうそのポジションから外すしかない、と思います。
 いますぐで良い。
 4日後のベルギーもタレント揃いで若くて強く、なかなかやれない強豪なので、キャプテンじゃないですがもったいないです。
 ホントはきょう負けても「いい試合」をして、
「ベルギーとガチか……楽しみやな!」
と言いたかったですね。

 速攻系は個の力が物を言うので日本代表では無理だ、的な論評には賛同しません。それならレスター・シティが優勝するわけない。しかも結果が平均化される長丁場のリーグ戦で。
posted by ながた at 00:00| 雑記

2017年11月09日

謎でもなんでもない


 録画してあった『スポーツ内閣』で落合さん@日本シリーズの回を観ました。例の喧々諤々物議を醸した、日本シリーズ2007、山井投手完全試合寸前8回で降板→岩瀬で日本一、についても語られる。

 あれ以前から言われてたように、早い回(放送では「4回ぐらい」と)に山井さんマメ潰してて、もう限界だったそうですね。森(繁和)コーチが聞くと「替えてください」と申し出たとか。

 とすると物理的な問題なので、論争のしようもない。
 降板させるしかない。

 落合さんが偉いのは、試合後それをゴニョゴニョ言って適当にごまかして、結果的に山井さんを庇った点かな。日本人の場合、「一生に一度あるかないかのチャンスなんだから、指ぜんぶちぎれてでも投げろ」とか無責任なことを言いがちですからね。
 あるいは本当のことを言っても「そういうことにした、んだろう」と疑いの目を向けられるかもしれません。疑いだせば何でも疑えるもので。

 ともあれモヤッとさせておいた結果、ヤイヤイ言えて楽しめたので、これが落合流のファンサービスじゃないか、とも言えるし、真実がそうならプロ野球界を二分した論争そのものが完全に空虚かつ無意味なものであり、化かされた、オチアイひとが悪い、とも言える。

 ぼく個人的にはおもしろくなくてもいいので真実が知りたい、否、真実こそがおもしろい、と思う方なので、メディアには真実追求をやってもらいたいのですが、まあ無理かなあ。
 ぼく自身もリアルタイムで観てて、その瞬間は「いったい何が!? 怪我!?」と思ったのですが、その直後から始まった喧々諤々にいつの間にか巻き込まれ、「落合采配」だと思いこむようになっていました。
 怖い怖い。

 人の悪い返しで穿ち過ぎ見方をすると、イタリアW杯のR・バッジョのPK失敗のように、あのまま9回山井で1本ヒット打たれたところで岩瀬に代えて勝利、というのが(中日ファン以外にとって)一番つまらない終わり方で、そんなことになるぐらいならここで動いて「その目を潰す」というディフェンシブなんだかオフェンシブなんだかわからない手を打った、のかもしれない。
 つまりこの「謎の落合采配」は「山井さんの完全試合」と同じぐらいの価値がある、野球ファンの記憶にとっては。
 落合さんならそのぐらいのことは考えてそう?

 ちなみにリーグ優勝級の名将たちは口を揃えて「代える」と言うそうで、甚だしきは野村克也監督なぞはボロカス言いまくった挙句に
「まあしかしあの場面で勝利に徹した采配ができるのは落合と……ワシぐらいやな」
などとまた得意の妄言を弄されており、つまり要するにこういう満座の「空気」に逆らえる人だけが、勝利なり記憶なりを得ることができる、らしい。
posted by ながた at 00:00| 雑記

2017年11月06日

コナズ珈琲 藤井寺店


https://tabelog.com/osaka/A2708/A270801/27097701/

 まだ独身時代、奥さんとドライブしてましたらロードサイドに突如現れたのが「コナズ珈琲」の寝屋川店。
https://tabelog.com/osaka/A2707/A270702/27083049/

 コメダばりのクッキリハッキリ巨大看板で店名を大きくアピールしつつ、しかしその足元の店舗は総ガラス張りで我々田舎者から「表参道か」の声が飛ぶほどオサレ。こりゃいっぺん入ってみる他ない、と入ってみればパンケーキと珈琲にこだわりがあるといい、珈琲の淹れ方も選べますと来たもんだ。店内も様々な椅子・テーブルがある様はスタバのようでもあり、店員さんもフレンドリー。
 あれ、ヤケに店舗設計にこなれ感があるな、と手元のアイフォーンで調べてみれば「丸亀製麺」傘下。
 ああ。
 それで、粉。

 と、ハワイ・コナのコナと掛けてあるんでしょうけどね。
 丸亀製麺はご存知、加古川の焼き鳥屋が祖業で現在も本社は神戸、丸亀となんの関係もないのに(いま調べると創業者のお父さんが坂出出身だそうです。坂出やないか)いまや日本一のうどんチェーンと化した商売上手。
 なんかうまーいこと既存珈琲チェーンのいいところをミックスした、ありていにいえば上述どおり「コメダ」のロードサイドロケとシロノワールを「スタバ」の雰囲気で出す、という俺最強小説を現国のノートの後ろから書いていく中学生の企画かと思われるような作戦ですが、そのわかりやすさがお客にもわかりやすい。
 寝屋川民大歓喜。
 2回めに行った時には平日夜もわりと更けてたのに駐車場満杯でギリで停めるありさま。
 寝屋川はベッドタウンなので、よく見るビッグ・チェーン系以外のお店あんまり無いんですよね。凝った店行きたかったらJRに飛び乗れば30分で梅田。なかなかお店も育ちにくい。

 というようなことをふと、ホットケーキ好きの奥方が思い出し、「他にないの」と聞くので調べてみれば藤井寺に今年の4月にでけた。
 仕事明けオフで連れていけというので代車のデミちゃんをカッ飛ばして到着ちょうど12時過ぎ……
 入れねー!!
 駐車場はたっぷり30台はあったと思うのですが、余裕で満車。
 しょうがないのでそのあたりで行ったことのある回転寿司屋さんへお寿司食べに行って時間をズラして再訪。
 こちらは寝屋川店よりさらにハワイアンで、ファミリーレストランっぽい感じ。客層によって一店舗ごと変えているのか、業態が新しいので手探り手探りで変えていってるのか。どちらにせよこれもいいと思います。
 ホットケーキも珈琲も美味しかったです。
 粉もんは粉が命。

 最近、ファミレスがドリンクバーを設置する副作用として「美味しい飲み物」を放棄しててですね。それもまだロイホだとドリンクバーの珈琲がまあまあイケるので我慢もできようものですが、デニーズは悲惨。以前いろいろあった個性ある単品ドリンクは(タピオカミルクティーとかね)全て姿を消し、かなりマズめのドリンクバー……というかどのみちソフトドリンクはコカコーラ社のアレが入るので差は珈琲でしかつかないのですが、その珈琲がマズい。
 あの、可愛いオレンジの制服に身を包んだウェイトレスさんがガラスのサーバを持ってアメリカンコーヒーを注ぎに来てくれる、あのおなじみだった風景は今や昔。
 それも顧客にとっては何の益も無いことにセブンイレブンに置いてあるのと同じドリップコーヒー機も併設してるのね。(デニーズはセブン&アイグループ)
 なんやそれはと。
 それが飲みたけりゃセブン行くっつーの。
 コメダやコナズのようなロードサイド珈琲店の勃興は、ファミレス陣営の敵失というか自爆というか、も要因のひとつかもしれません。
(まあ長居公園店は週末昼など狂気のように混むので、ドリンクサーブなんかやってられんのかもしれませんが、それでもう何十年もやってきてたのに……)

 店舗数は少ないのでお近くにある可能性は低いと思いますが、もし何かの機会に見かけられたら入られてもパンケーキ美味いですよ、というおはなしでした。
posted by ながた at 00:00|

2017年11月05日

本「できる100ワザ WordPress」インプレス




 僕には難しすぎました。

 ワードプレス、てのはCMS、コンテンツ・マネージメント・システムの略で……まあとにかくホームページとかブログとかを作れるシステムです。
 文章や絵、音などの素材をデータベースで持って、それをどう表現するかは別に持つ。これがテーマといいまして、つまりテーマを変えると同じ中身でも見せ方をガラッと変えられる。
 ホームページにしろブログにしろ今は無料で見栄えもいいサービスがいろいろあるので、じゃなんでそんな面倒なものいちいち触るか、っていうとつまり広告を貼りたいのです。
 GoogleAdSenseを筆頭に最近個人のブログでもよく広告バナー出ますでしょう、あれってクリックだけでお金が貰えたり、もちろんリンク先から何か買ったらそのサイトの作者にいくばくか紹介料が入ったりするのです。アクセスが多かったり購買行動と親和性の高い内容のwebだったりすると、月数十万円の収入になることも!
(ホームページやブログで無料のサービスっていうのは要は主催側が勝手にそういう広告を貼って、その分を間でインターセプトして運営費用や利益にしているわけですな)

 ということで夢を抱いて挑戦してみたのですが、ま、とにかくその、めんどくさい。
 webサイト作るとするでしょ、だいたいみなさん内容に凝りたい頑張りたい、でも見栄えまでよくするのは大変だからなにかテンプレートみたいなのでそこそこカッコよくしてくれたら……というような感じですよね。
 この「そこそこの見栄えの」っていうだけでもうたいへん。
 上述のテーマっていうのが世界中に山のようにあるわけですが、実はテーマそのものもカスタマイズしようとするとhtmlやらPHPやらなんやらの知識が必要で、それをググったり作者のサイトを漁ったりして詰めていかねばならず、途中で何やってるのかわかんなくなります。
 テーマのことも調べないといけないし、
 WordPressの面倒(アップデートとか)も見ないといけないし、
 便利なプラグインの面倒も……
 ハー!

 一応メリットとしてはそれ以外にもレスポンシブ、つまり端末(の画面やUI)に応じたページを自動的に生成してくれる、というのもあります。
 内容のデータだけ流し込めばスマホ版とパソコン版を勝手に作ってくれる、と。
 確かにありがたいし見栄えもいいんですが、これもこだわりだすと、やっぱりまるまる2つのサイト作り上げるのと同じ手間がかかります。あたりまえですよね。

 おっちゃんがはじめて「ほーむぺーじ」作った時には、プロバイダに「ここやで」と言われたフォルダにindex.htmlのテキストファイルをFFFTPかなんかでポイと置くだけで「Hello, world.」とですね……
 感動したもんさ。
 こ、これで世界中の人がここにアクセスできるのか、と。

 そういうことが複雑になった代わりに豊かな表現力を得た、ってだけなんですが、まあそれにしてもテキストファイルにhtmlタグ直打ちでなんとかなってて、blogを除けば年に1回(新作のPDF化)ファイル載せるか載せないか程度の更新頻度のマイ・サイトでは、めんどくささ>利益、でした。
 ということで諦めて以前の(さくらインターネットさんが会員に無料で提供している)blogに戻る。もちろんホームページは手作りで。
 きっとジャムとかスコーンとかと一緒で、webサイトもそのうち「てづくり」に付加価値つくようになるわ。
 まあ昨今、名刺がわりならwebサイトなど持たなくてもFacebook、twitter、Pixivなどで作品や活動を垂れ流していればいいですしね。

 上記の本は参考資料。web情報観ながらポチポチ組んでもなんとかなったんですが、やっぱりまだ紙の一覧性やあとから引きやすさに弱い世代です。
posted by ながた at 00:00|

2017年11月04日

セレッソ大阪 ルヴァン杯 優勝


 わが愛するセレッソ大阪が初タイトル……
 ということになってる、のですが、前身のヤンマーディーゼルサッカー部は世界のカマモトを擁しリーグ優勝4回、リーグ杯(ルヴァン杯が相当)2回、天皇杯3回の強豪、名門、ビッグクラブでございます。
 といってもその頃を知る人は相当のおじさまおばさまのはずで、まあ実質初タイトルです、はい。J2から這い上がった3回(!)も全て無優勝で上がるというこのテイタラクで、
「セレッソ大阪、優勝!」
というこの二つの単語が並んでるのがあまりに珍しくて、いや初めて過ぎて目をパチクリさせて実感がまるで無い。

 わたし昔、近鉄バファローズという野球チームのファンでしたがファンになったキッカケというのがあの伝説の「江夏の21球」、あれをどこかに出かける行きすがら、父のカー・ラジオから流れてきて
「こんな情けないチームは僕が応援してあげないと可哀想だ」
と思ってファンになりました。79年ですね。
 だものでその時点でリーグ優勝は果たしており、翌年80年も優勝してその次はこれまた伝説の89年、でしたんでファンになってから常識の範囲内で勝利するところを見てたんです。そん次も01年ですしね。
 10年に1回ぐらい優勝するチームのファンが一番しあわせですなあ。
 ということでまだ
「セレッソが優勝した」
というのがしっくりこなくて困っています。
 あるいは僕はひょっとすると
「ええとこまで行って最後勝てない」
というチームであり続けて欲しかった、あすなろう、あすなろうと前だけを上だけを見つめて石に蹴躓くチーム、クラブであって欲しかった、と内心思ってしまっていたのかもしれません。
 そう愛する、いや愛した、ついに球団消滅まで日本一になれなかった近鉄バファローズのように。

 開始直後にミスを突いて先制したセレッソ、あとはベッタ守りで守り倒すのですが、これが後半の半ばを過ぎたあたりから、僕上記のようにセレッソを応援してるわけですけど、そんな僕でさえフロンターレの選手の焦燥感みたいなのが伝わってきて、痛々しかった。
 できるなら両方優勝させてやりたいとか無茶なことを思うぐらい。
 フロンターレはこれルヴァン杯決勝4度目だそうなんですよ。主要3タイトル(リーグ、リーグ杯、天皇杯)で9度目の決勝。それがすべて準優勝。
 気持ちの大小なんてもちろん比べられませんけど、のめり込み具合、でいうとフロンターレの方が大きかったかもしれませぬ。それが逆に硬さと視野狭窄を招いたのかもしれませぬ。
 だってもう後半途中から右奥一辺倒で、そんなとこ持ってっても中に高さ無いしこっちのジンヒョン・ヨニッチ・木本も強いから、簡単に放り込んでも確率低い、ってんで地べた転がして真ん中に戻す、ところを狙いすましてソウザが狩る、っていうのを何度も何度もやってて、
「ああこれ勝てるな」
と思いつつ、かなり切ない気持ちになりました。
 あの強いフロンターレが、一月ちょい前に等々力で5-1で文字通り粉砕されたフロンターレが手足を縛られたようなプレーしてるのを観て、よく、
「気持ちの強い方が勝つ!」
などと言いますが、そんなもん嘘や、と。
 なんぼ気持ちが入っててもボールが滑べりゃダルビッシュだってこんがり焼けまくるし、なんぼ気持ちが入っててもサファテは打てん。

 ただしフロンターレにはまだリーグ戦の優勝の可能性が残っており(2位。首位鹿島と残り3試合で勝ち点差4)、セレッソにはもう無いので(3位、鹿島と勝ち点差10)ぜひこれに発奮してここから逆転優勝をば。
 とかなんとか人の心配してる場合ではなく、セレッソもすぐ天皇杯の準決勝・神戸戦が待ってます。せっかくだから2冠行っちゃおうー。

 ユン監督は変わったことをやってるわけではないのですが、球際の強さとちゃんと走るというあたりまえのことを徹底させており、もともと才能ある選手が多いだけに、一気に戦闘力が上がった感じです。
 分不相応な出費を無理にして買い戻した清武も、この大一番に間に合ってダメ押し2点めをクールに演出。あれも今までのセレッソだったらソウザが華麗に外して、いやその1つ前、健勇に渡ったところで目をつぶってぶっ放して外して、そのあと「あー」とか言ってる間に逆に同点弾を叩き込まれる、というパターンでした。
「あーこれ決まるのか……」
とまるで今まで知ってるチームじゃないチームを観てるよう。
 きっと息子や娘が旅立つ日、というのはこういう感慨を持つのでしょう。
 大きくなったもんだ。

 「優勝」かあ。
 いい響きですね。
posted by ながた at 00:00| 雑記

2017年11月03日

11/3


・ちょっと風邪引いてしまいましてね。
 相変わらず鼻グズグズ言わせてます。

・デミオを車検に持っていく。
 ついでに置いてあったおろしたてアクセラ、アラウンドビューモニター付き、をちょちょっと転がさせて貰う。
 360度モニタは便利なんだか不便なんだか個人的にはよくわからないです。画面ばっかり見ちゃうから逆に危ない気がするんだけど……バックカメラの時は一目で便益がわかり過ぎたんですけど、何が違うんでしょうね。
「俯瞰」というありえない視点に脳を切りかえるのが巧く行かないのかな。僕方向音痴で、地図もロクに読めませんが(元ブラタモリ部なのに)、なにか関係あるのかも。

・そのアクセラには新ソウル赤(クリスタルの方)が塗られていて、意外に合ってた、というか、1ランク車格が上がったような気すら。
 車両が小さくなるに従って、深みがある色よりパーッと元気な色の方が似合う、という固定観念があったのですが、いや良かったです。この分だとデミオに塗ってもイケちゃうかも。

・で、代車が同じDE(旧型)デミオの、
 バーガンディレッドと迷ったラディアントエボニーの、
 黒内装と迷ったアイボリー内装の、
 13C-Vと迷った13SKYACTIV
でした。おおげさな言い方をすると
「選ばなかった未来」
を経験してる、ような(笑)

 くるっと転がしてみたのですが、やっぱり試乗時に感じた
「いや、これSKYより通常型の方が運転しやすいよね」
というのは間違ってなかったように思います。低中速トルクが若干豊かなのと、トルクの出方が素直。あとSKYは上もすぐ詰まる。
 もっと言うと13C-Vよりただの13Cの4ATの方が良いです。C-Vはエンジンがミラーサイクルなので若干ながら出力が落ちてるのと、やっぱりCVTよりコンベンショナルATの方が操り易い。
 だからデミオの1300は安いグレードの方がいいです。でも中古で買うならだいたい後期はSKYかC-Vしか無いので悩ましいところ……MT車が見つかればおすすめですな。
 現行DJと比べてもやっぱりDEの方がデザインはカッコイイと思う。チーフデザイナーは前田育男、イエス、現デザイントップです。

 デミオの良いところでもあり悪いところでもあるのは4代ともキャラがぜんぜん違うので、「これぞデミオ」という固定イメージが無いんですね。ピッペンのCMしてた箱型のから、今の革内装でディーゼルのヤツまで、初代の最後の方は値引き込み車両75万ぐらいで買えたはず。それが今や油断すると250万ぐらい出ささせられちゃいますからね。
 フィットやスイフトがどの代も「こんな感じ」というイメージがあってそれをメーカーもオーナーも大切にしているのとぜんぜん違う生き方で、もちろん良し悪しじゃないんですけど、それでも名を継ぎ続けられる、というのもおもしろいな、と。普通コンセプト変えるなら名前変えて気分一新して進みますからね。

・11/3文化の日は
 ウチの母校で「スクールフェア」という文化祭の日です。
 昔は9/23秋分の日ぐらいに体育祭があったので、それが終わって10月一杯は文化祭の準備、僕らにとっては劇の準備でまあめいっぱい。
 なんかいつも追われてましたが、毎年なんとかなりました。不思議なもんで。
 先日35期の同窓会があった時に、会場機材を使って校歌や「箱根山体操」(曲は『箱根八里』)の音出しをする、つまりPA役をやったわけですがこれがもう楽しくて楽しくて。
「ああ俺はやはり舞台袖の人間だ」
としょうもない感慨に耽っていました。
 舞台でもなく、客席でもない。
 そんなことが刷り込まれたのもスクールフェアの舞台ででした。
 最近は女子もたくさんやってくるらしい。
 羨ましいというか、なんじゃそりゃ。
 うちはー
 硬派で鳴らすー
 男子校ー
 フヒヒ拙者オタクなぞではござらぬよ
posted by ながた at 03:42| 日記

2017年11月02日

USB-C MagSafe風 マグネット MacBook




 USB-Cケーブルの先端にアダプタを付けて、USB-C端子の方にも小さなアダプタを付けて、その二つをマグネットでカチーンと合わせる、そういうブツです。(画像はケーブルになってますが、僕の買ったのはそういうの。ケーブルは別、というか元のをそのまま使う)
 普通の方には「ほら、電気ポットや卓上IH調理器のマグネットで抜けるコードあるでしょ? あれ」とお伝えした方がいいですが、ノート型Macをお使いの方には一言「MagSafe風」。

 MacBookが今の形になって、
「やった! 1kg切り!」
「画面が16:10! わかってらっしゃる!」
などと喜び勇んで買ったんですが、なにが不満かって外部端子がUSB-C1つと3.5mmイヤホンジャックのみ……ってことではなくて、そのUSB-Cに電源ラインを「直接挿しこまなければならなくなったこと」です。
 これが今まで上記「MagSafe」で機嫌よく快適に10年過ごしてきた身にはほとんど耐えられない。
 Appleには珍しい「使い勝手の決定的な後退」で、これほんと今からでもなんとかして欲しいです。端子や規格はUSB-CでもUSB PDでもなんでもいいんですが、とにかくMagSafeを返して欲しい。
 無敵のジョナサン・アイヴもこのデザインで決定する時は酔っ払ってたか、あるいは彼はノート型パソコンを持ち歩いたりしない人なのかもしれません。

 ホント何とかして。

 と星に願うと、つまりそれは全世界1億人のノート型Macユーザー全ての願いなわけで、オットリ刀で有象無象が次々にMagSafeモドキを作ってくれる、そんなステキな世の中になりました。もうクラウドファンディングすら話が遅くて間に合わないぐらい。
 2年ほど経って、もういい加減品質も安定したろうと思い、Baseusはマグネット製品をいくつか出してて評判もいいので、1つ所望してみました。

 結論から言うと微妙です。
 ゆるい。

 電気はちゃんと流れてるので充電は順調にできるのですが(これすら怪しい品が多いそうです)、なんせ磁石で付いてるだけなので、ちょっとしたこと、たとえば手が当たったとかスライドさせたら置いてたカップに当たった、という程度で外れます。
 もちろんバッテリがあるので何も困ったことは起きないのですが、ポロポロ外れると気を遣うではないですか。
 本家のMagSafe特に2は物理的に本体側にちょっと噛むようになってまして、そういうちょっとしたことでは外れません。磁力も絶妙でこれよりもうちょっと強いけど引っ張ったらすぐ外れる感じ。
 とはいっても、とりあえず希望していた機能は果たしてくれ、端子側出っ張りも最小限でスリーブに入れる時の邪魔にもならず、「まあいいかな」という感じです。

 Appleに於かれましては次の筐体チェンジ(あと2回つまり2年ぐらいはスピードバンプのみかなあ……)の機に本当に本当になんとかしていただきたく。
 どのぐらい切実かというと、もし「MacBookは薄さ的に無理だ、MacBookProなら考えなくもない」というのならMacBookProに買い換えてもいいぐらい……という淡い希望は先日のMacBookProのフルモデルチェンジ時に打ち砕かれたんですけどね。
 いいアイデア無いなら湧くまで電源線を専用かつMagSafeに戻して。
 それは退化じゃない、「過ちては改むる」ですよ。
 憚ること勿れ。
posted by ながた at 00:43| デジタル・ガジェット

2017年11月01日

映画「映画キラキラ★プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ!」


http://www.precure-movie.com/

 おもしろかった。
 小学生か。
 そのぐらいに戻れるような感じ。

(以下ネタバレあります)
【続きを読む…】
posted by ながた at 22:17| コンテンツ

2017年10月31日

本「読んでいない本について堂々と語る方法」ピエール・バイヤール




 タイトルからして挑発的ですが、もちろんただのジョーク本や逆張り炎上商法本だったら、天下のちくま学芸に入りません。結論としては、
「すべての本は媒介物にすぎず、
 それをキッカケとして内なる自分を語るのだ」
 素晴らしい。
 ウィトゲンシュタイン曰く
「語りえぬものについては沈黙せねばならない」
 孔子曰く
「怪力乱神を語らず」
 ではそれを誰が語るのか。
 それは貴方だ。

 まず
「『本を読んだ』ってどういう状態を指すの?」
というところから洗い直し、
「どういう状況で『語る』の?」
と「本を語る」ことの意味を確認し、最後に
「どう語ればいいか」
を導き出す。
 具体的な有名作家や作品の例を豊富に引きつつ丁寧に積み上げていくのですが、ちゃんと「読んでない本を語る」形になっているところがメタ的でおもしろい。
 よく見れば、作者が誇張気味にこってり「そういう人」を演じているのですが。フランス人らしい斜め目線というかヒネリ具合というか。

 そうつまり、いままさに僕はこの本について語っているわけですが、僕の読んだ「この本」は、いまこれをお読みの貴方が読む(読んだ)「この本」とは別のものなのです。自分の解釈能力以上の読み方はできませんし、その本から何を汲み取るか、その本に何を触発されるか、は人それぞれ違うから。
 それを社会全体に拡張すると、「この本」には社会がだいたいコンセンサスとして思っている「こういう本」というイメージがあるわけですが、それは脆く、また変化しやすく、またし続ける。その教養空間全体に置ける位置づけも刻一刻変わっていく。
 だもので、本を読む時にだいじなのは、中身もさることながら、その本とその読書体験そのものを、自分と社会(生活)との中でどう位置づけていくか、そこにある。

 言われてみれば確かに無意識で私たちは既にそうしています。
 バカ正直に書いてあることを鵜呑みにするのみならず、自分の都合のいいように解釈したり記憶したり、またアレンジしたりして人に伝えたり嘯いたりしている。
(もちろんこの文章もそう)
 内容が難しい本や解釈に自由度のある文学でなくても、たとえばライトノベルだって、主人公を自分に置き換えて妄想して楽しんで、それを二次創作同人誌に仕立て上げたりもしましょう?
 あらゆる作品は(単なる)触媒であり、創作とは自らが自らの内から引っ張り出す行為それそのものである。

 知らずに自然とやってたことをこう明確に言語化されると、
「わあこの人頭いいな!」
と感心しちゃいますね。

 もし良い作品そうでない作品という区別があるとするなら、触媒としての性能の良し悪しを指すかもしれません。
 だから作家自身にとって良い作品そうでない作品の区別は原理的にはつきません。作家にとって(納得の有無は別にして)「創作した」という事実はどの作品に置いても同じなので。

 バルザック、漱石、ワイルドといった押しも押されぬエース級が口を揃えて「本なんか読まんでええ」と作品中で語り語らせているのを知り、いったん驚いて、いま上で書いたようなことを考えて、なるほどな、と頷きました。
 作家が誠実であればあるほど、己のそれも含めた「本」というものはキッカケに過ぎない、ということをこそ、つまりそれをキッカケにしてどうぞ貴方の想像を羽ばたかせて、と訴えたくなる、はずです。
 でもそういう作家の作品こそリアリティがあり真に迫り結果読者がのめり込み、読者自身の想像力=創造力を停止させてしまう、というこの矛盾。

 フローベルが『ボヴァリー夫人』を書く時に「なんでもないものを書く」と豪語したそうで、それは北杜夫先生『どくとるマンボウ』のあとがき、「どうでもいいものしか書かない」に通ずるなあ、と思い出しました。あるいは北先生はインテリサラブレッドだからそのぐらいのことはご存知だったのかも。

 どんなジャンルでも作為の見えるものは二流品ですが、そりゃそうで、上の原理に忠実であれば、内から湧いてくるものを表に現す、以外の意図や行為が混ざっていればそれは邪魔物、写さなくて良いセンサーにへばりついたゴミに過ぎません。むしろそれを丁寧に取り除く力とセンスと根気、このありなしが作家の力量。

 おもしろいです。
 読書家にこそ頭の整理におすすめ。
 あんまり本読まない方は別にいいです、普段あなたがやってることが言語化されてるだけなので。
posted by ながた at 21:33|